第0章 数によるイマジネーション
映画とゲーム

破滅しそうな世界、その中でゆずりあうゲーム

映画「タイタニック」


 「ゲーム」というものもこれと[タイタニック号の上での人々の心の動きと]似たところがある。「ゲーム」は数学による人の心のイマジネーションのエクササイズ(練習)といってよい。正確にいうと人間関係の練習を数学で行ったもの、いってみれば将棋や碁、チェスをもっと心理的に複雑にしたり、経済学的にしたものといってよい。しかも多少の数学を使ってである。

 「ゲーム」とは正式には人と人との(「人」は文字通りの人でなくてもよく、企業でも国家でも団体などでもよい)間の戦略的行動とか関係の数学理論といえばよいのだが、この教科書的定義では固すぎる。「かけひき」「おつきあい」だと、少し近くなるがやや平板。相手の心の動きを「読む」「当てる」「推理する」・・・だいぶ近い。「読み解く」。近い。「占う」。まったくあてずっぽうだと役に立たないが、相手の出方を科学的に予測するという意味なら悪くない。

 もちろん「読みそこない」「当てそこない」「読み解きそこない」「占いそこない(?)」があってもよい。ゲーム理論はそれ自体は善悪判断を行わない。ルールとして数学を使っているから冷静、中立である。映画や絵画でも、背景や地がおさえの効いた地味なトーンである方が、役者やテーマの万感迫りくる効果が増すものである。そう考えると、数学ほどあらゆる感情の可能性を内部に秘めているものはない。

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