No.118 Monday Edition
2001年6月11日
村上龍、金融経済の専門家たちに聞く メール編
Q:213
「経済財政諮問会議が提言する構造改革で得をするのは誰だ? 都市部の金持ちだけではないか。失業者や、零細企業はこの先どうすればいいのか。それに地方に住む貧乏人へのサービスは悪化するだけだ。構造改革は弱者切り捨てではないのか」
守旧派の反撃が目に見えるようですが、構造改革推進派は、どのような論理で立ち向かえばいいのでしょうか?
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山崎元
社会的な意思決定の議論は、概ね「パイの大きさの問題」と「パイの分け方の問題」に分けて考えることが出来るので、二段階で議論します。「パイ」とは、もちろん生産されたかもともと存在したかで分配可能な富の比喩です。
経済的な強者と弱者の関係は、現実には一方的な強弱でないことがしばしばありますし、両者の構成メンバーが固定されている訳でもありませんが、単純化した場合に、「構造改革」で直接的に起こる変化の多く(たとえば地方交付税の削減)は、現状よりも強者に有利で弱者に不利な面が多いでしょう。この場合、構造改革推進派は、(1)構造改革によってパイが大きくなって弱者への配分(絶対量で)も増える、或いは(2)弱者への配分量が増えないまでも日本全体としてパイが大きくなるということ、を立証できれば強力な論拠になるでしょう。
特に(1)を論証できると、嫉妬心(現実には無視できませんが)以外の論拠から構造改革を批判することが出来なくなります。また、(2)が確実にいえる場合、パイの増分を少々弱者に分け与えるという交渉によって強者と弱者が合意することが出来る可能性があります。
このままの状況を放っておくと、相対的な強者もやる気が無くなったり能率が落ちたりして、パイの生産活動が停滞し、ひいては弱者の経済的な条件も悪化するのだ、といった議論をすることはある程度可能でしょうし、出来るだけ効果的に説明することは重要です。しかし、率直にいって上記の(1)か(2)を納得的に立証することは難しいでしょう。議論の戦略としては、これらの何れかが立証できない限り「構造改革」はダメなのだという立場に立たないことが重要です。もちろん、弱者と強者を平等なものと見る限り、半構造改革派の意見も、構造改革派を納得させるためには、これらの何れかを立証しなければならないので、お互いに決め手を欠く点については互角の立場なのです。
(1)、(2)を立証する困難は、たとえば、これまでの財政出動によるいわゆる「景気対策」が、行われたにもかかわらず景気が回復していないから無効なのだ(私個人の意見はこちらに近い)という意見と、行われてきたからこそこの程度の不景気で済んでいるのであり有効なのだとする意見を、客観的に調停する手続きが難しいことと似ています。パイの生産の観点が重要であることは認めなければなりませんが、ここに拘りすぎると、どちらにも決められなくなってしまいます。
一定のパイの分け方について、フォーマルな経済学が「確かに」いえることはそう多くありません。二人でパイを分けるときに、一人が全部取ってしまう分配もパレート最適ですし、半分ずつに分ける分配も、或いはたとえば体重の比率で分けることもまたパレート最適です。
最近刊行された書籍で『ゲームとしての社会戦略』(松原望著、丸善ライブラリー、平成13年4月20日発行)という、社会的意思決定とゲーム理論の入門書があり、先日読んでみました。とても分かりやすく書かれていて、読むこと自体が楽しい良著だと思いましたが、とりわけ面白かったのが終章「あなたの戦略力を試す16問」という練習問題です。T.C.シェリングの「フォーカル・ポイント理論」という考え方が紹介されていて、「人々が一致するためには『これが(正)解だと思う』ものが、一つだけ、正確には出来る限り一つだけあれば、それで十分」(同書、p164。原文には「思う」の二文字に傍点があります)とあります。
筆者の理解では、これは経済インセンティブと交渉によるパレート最適という基準では解決できない問題を現実に解決する場合に(或いはそれ以前に現状を理解する場合にも)非常に有効な考え方です。たとえば、二人でパイを分ける場合のフォーカル・ポイントは、多くの場合、最も単純な「二で割る」つまり「半分に分割」という点になるでしょう。
つまり、構造改革推進派にとっては、これが正しいと合意できる強力なフォーカル・ポイントを見つけるか、作り出すかすることが、戦略的に重要だと理解されます。筆者の考える限り、それは「受益と負担のバランス」だと思います。
個々の国民が、一体幾ら払って幾らのものを得ているか、特に他人のために幾ら取られているかということを、できるだけ明確に示すことが重要でしょうし、有効でしょう。心理的には、基準として参照している点よりも、得だというメッセージのインパクトよりも、損だというメッセージのインパクトの方が強いことが多いので、たとえば景気対策として行われている非効率な支出の具体的なものによって、個々の納税者が幾ら損をしているかという試算を印象的に訴えて不公平感を喚起する戦略が有効でしょう。この戦略は、フェアネスの低下が経済全体の効率の低下をもたらしていると思える面もあるので、構造改革の有効性を、先の(1)、(2)に関連して主張する上でも有効です。
他方、守旧派の人々の反撃戦略は、基準点からの損が心理的に強力であることを最大限に突いて、「現状(の既得権)」をフォーカル・ポイントに持ってきて、より確実に見える現状を構造改革による不確実な改善と対比する形で後者の価値を値切ることと合わせて、現状から損をするかも知れない人に焦点をあてようとすることにあるでしょう。
深刻な損得が絡むような社会的な意思決定は、われわれの情報量に限界があることを考えるとなおのこと、イメージの世界を舞台とする戦いによって決定されるのだという認識を持つことが重要だと思います。野蛮ともいえますが、これが現実です。目下の戦況を判断すると、現在の小泉首相への高支持率は、「現状」というこれまで強力だったフォーカル・ポイントが効力を減じていることの表れと考えられます。「受益と負担のバランス」というフォーカル・ポイントを確立する絶好のチャンスが訪れていると思います。
三和総合研究所 金融本部主任研究員 兼 企業年金研究所顧問
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