プラトン『ソクラテスの弁明』

死は是非とも免れるべきものではない

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 第1章概説へ


 なぜなら、裁判のばあいにしても戦争のばあいにしても、わたしにかぎらず他のだれでも、死を免れるためには何でもやるというような工夫は、なすべきものではないからです。というのは、戦場においても、ただ死だけを免れるというのならば、武器をすてて追い手の情けにすがればできるということが、いくたびも明らかにされているからです。そしてほかにも、危険のそれぞれに応じて、あえて何でもおこない、何でも言うとなれば、死を免れる工夫はたくさんあるのです。

 いや、むずかしいのは、そういうことではないでしょう。諸君、死を免れるということではないでしょう。むしろ、下劣を免れるほうが、ずっとむずかしい。なぜなら、そのほうが死よりも足が早いからです。

 だからいまも、わたしは年をとって、足がのろいから、のろいほうの死に負かされたけれども、わたしを訴えた人たちは鋭利敏速の士だから、早いほうの、邪悪というものに負かされたのです。だからいまも、わたしは、あなた方から死の刑罰をおわされて、この場を立ち去ろうとしているが、この諸君は、真実というものによって兇悪と不正の刑をおわされて、ここから出て行くのです。わたしもこの裁定に服するが、この諸君もまた、そうすべきである。しかしこれらのことは、たぶん、おそらくこうならなければならなかったのでしょう。わたしも、これでけっこうだと思っている。