IV 学問のパラダイム


 専門は大切だ、というのは、専門という考え方が大切だという事である。ある専門が成立しているということは、そこに中心的なセオリー・やり方・手続・方法があり、それについてはその専門の中にいる人は有効性を疑わず、多くは標準的な教科書にしたがって知識が伝授され、専門内の集団はこれらを(その有効性が維持される限り)永続させようとする、ということである。このようにして、ある体系化された知識が再生産されつづけているその枠組みが、いわゆるT. クーンの「パラダイム paradigm」(5)である。「天動説」「地動説」とか、「量子力学」とか、あるいは「新古典派理論」などは典型的なパラダイムである。パラダイムは、それを信奉する人々にとっては学問の永続的信念体系であるが、決して永遠ではない。有効性が客観的に疑われるようになれば、この信念体系は大きく揺らぎ、新たな「科学革命」によって「パラダイム転換 paradigm change」が起こるのである。天動説は一定の誤差範囲内では天体現象を(1000年以上もの間)説明しつづけて来たことを忘れてはならない。天動説というパラダイムがコペルニクスの地動説というパラダイムに取って代わられたのである。

 環境問題が現代の諸学問のあり方に極めて大きなパラダイム転換をもたらす事は確かであろう。ただし、多くの政治的革命と同じく、「革命」は想像されるほど短期的に達成されるものではない。さきの天文学におけるパラダイム転換について言えば、コペルニクスの地動説(1543年)からニュートンの万有引力による天体運動の解明(1684年)まで一世紀半もかかっている。その間にはガリレイやケプラーも居た。

 ハンガリー系イギリス人の科学史家ラカトシュ(Lakatos)はもっと進んで、学問は「ハード・コア」という強固な中核理論と、それを支える経験的事実などから成る「防護帯(protective be1ts)」から構成される、と述べている。学問には実際、そう言う側面があるだろう。そう簡単に理論のパラダイムは崩壊するものではない。学問の建設は思いつきだけで簡単に出来るものではないことは知っておく必要がある。わずか2年でできる事は極めて小さい。だからこそ、そこは質実に論文戦略を立てる必要があるのである。


(5) 強いて訳せば「範型」となる。