プラトン『リュシス』

ほんとうのもののために

陶器の盃を大切にするか?

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 第1章概説へ


 「(・・・) 人が何かを大切にしているばあい、たとえば父親が息子を他の何ものよりも大切なものに考えているばあいなど、何ものよりも大切なその息子のために他の何ものかをも大切なものに思うということはないだろうか。たとえば、息子が毒を飲んだということを知ったばあい、もし酒が息子の命を助けてくれると思えば、酒を大切なものに思うのではないだろうか」

「もちろんです」

「それで、その酒の入れてある容器(いれもの)さえも大切に思うのではないか」

「そうです」

「そのばあいに、いったい、陶器の盃(さかずき)や五合の酒のほうを自分の息子よりも大切に思ったりするだろうか。そんなことは、けっしてあるまい。つまり、さまざまなものを大切にしているように見えても、じつは、そのときほんとうに大切にしているものは他の何かであって、このほんとうのもののためにこそ、それらもろもろのものは準備されたのだった。われわれはよく金銀を大切なものに思うと言うけれども、それはおそらく真実ではなく、われわれがほんとうに、それこそすべてであると思っているものが、じつは別にあるのであって、そのもののためにこそわれわれは金銀もその他のものも準備するのだ。こう言ってよいだろうか」

「よいと思います」

「さて、友についても、同じことが言えるのではないか。つまり、たしかにわれわれはもろもろのものを『友(ビロン)』と言葉のうえで呼んではいるけれども、われわれがそれらのものを愛するのは、たぶん、それらのいわゆる友の究極にあるほんとうの友を愛しているからなのだろう。そのほんとうの友(ビロン)(好ましいもの)のために、他のすべてのものがわれわれにとって友となるのだろう。そのような究極のものこそ、真の意味で友であるということになろう」

「おそらく、そうでしょう」

「そうすると、そのようなほんとうの友とは、ある友のために友なのではない」

「そうです」