プラトン『第七書簡』

理想哲学者の蹉跌(さてつ)と挫折

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 第1章概説へ


 そういうわけでわたしは、初めのうちこそ、公共の実際活動へのあふれる意欲で胸いっぱいでありましたのに、そういうことどもに思いをいたし、ものごとが支離滅裂に引きまわされているありさまを見るにおよんでは、とうとう眩暈(めまい)を覚えざるをえなくなったのです。それでわたしは、まさにそういうことどもについてはもちろん、国制全体についても、どうすれば改善しうるであろうかと検討するのをやめたりはしなかったものの、しかし実際行動に出ることについては、好機を期して、ずっと控えているよりほかなかったのです。そしてついには、現今の国家という国家を見て、それがことごとく悪政下におかれている事実を否応(いやおう)なく認識させられる−というのは、法の現状は、どの国にとっても、驚くべきほどの大仕掛けな対策と、あわせて好運をもってしなくては、もはやとうてい治癒(ちゆ)されようもないほどになっていたからですが−とともに、国事も、個人生活も、およそその正しいありようというものは、哲学からでなくしては見定められるものでないと、正しい意味での哲学をたたえながら、言明せざるをえなくなったのでした。