旧「満州」(中国東北部)を含む今日の中国北部と十五年戦争

満鉄(南満州鉄道)が、長春[新京]-瀋陽[奉天]-大連と走る。山海関から北京の北を通り西に延びるのが「万里の長城」。日本軍は「満州国」設立後ほどなく、熱河(ねっか)に侵攻、ここ山海関を越え華北に侵入、廬溝橋事件[日華事変]をきっかけに、中国と全面的戦争(日中戦争)に入る。中国は国土広大、戦争は中国の徹底抗戦もあってやがて全線で膠着状態に陥って泥沼化。日本としては、長期化する戦争の体制建て直しと打開を試みるも効果なく、東南アジアへの南進を図る中で次第に米・英・仏の勢力と対立、中国侵略はついに太平洋戦争の開戦という最終段階に至った(十五年戦争)。
   [ ] ; 当時における呼称