危機の日誌

毎日新聞社『昭和史全記録』より(注)


注) "Thirteen Days"はケネディ大統領の弟ロバート・ケネディ司法長官の回想録。危機の当事者の記録はそれ自体非常に大きな価値があるが、日次形式の記録ではないので、全く便宜上これに替えた。

1962 (昭和37) 年

9/2 モスクワ放送は、ソ連政府がキューバに武器と技術専門家を提供することに同意したと発表。
9/4 ケネディ米大統領は「キューバによる侵略を防ぐため、あらゆる手段をとる」と警告。
9/7 ケネディ米大統領はキューバ情勢などの緊迫に関連して、最大限十五万人の予備役将兵召集権限を与えるよう要請。
9/11 タス通信は、ソ連のキューバ援助は平和的なものであり、米国がキューバを攻撃すれば戦争となるだろうと警告。
9/13 大統領はソ連のキューバ援助は防衛的なものであり、軍事干渉の必要が無いと言明。
9/14 米、U-2 型偵察機でキューバ西部にミサイル基地建設中を確認。
10/22 ケネディ大統領は、全米にテレビを通じてキューバにソ連ミサイル基地が建設中であることを発表。アメリカと西半球の安全のため、キューバに武器を運ぶ船舶に対する厳重な海上交通遮断を宣言(「即刻空爆」の強硬派を抑えての決定)。
続いて米国防総省は「ソ連船が停泊命令を拒否すれば撃沈、24 時間以内にソ連と対決することになるかもしれぬ」と言明。国連に緊急安保理の招集を要請、ミサイル撤去の決議案を提出。
10/23 ソ連は米国の海上封鎖を国連憲章違反とする決議案を安保理に提出。ライシャワー駐日大使は池田首相の私邸を訪ね、キューバ問題についての米国の立場を説明、日本の支持を要請したケネディ親書を手渡す。
10/24 ウ・タント国連暫定事務総長は、キューバをめぐる危機回避のためケ大統領とフルシチョフ首相に同文のメッセージを送り、調停を申し出たことを安保理で報告。
10/25 カリブ海上で米の海上封鎖のため二十五隻のソ連船のうち油送船一隻だけが通過を許可。他は転進。
10/26 フルシチョフ首相は、ソ連船の封鎖線入りを禁じた。米ソの正面衝突は一応回避。
10/27 フ首相はケ大統領宛書簡で、キューバとトルコの双方の基地撤回を提案。ケ大統領はキューバの基地建設中止を先決とする実質上ソ連提案を拒否する返書。
10/28 フ首相はキューバから「攻撃的武器」を撤収するとケ大統領に回答。ケ大統領はこれは平和への重要な貢献であると声明。
10/30 ウ・タント国連暫定事務総長はキューバ問題の早急解決を目指し、キューバのハバナに向かう。
11/1 キューバのカストロ首相は「いかなる査察にも応じない」と宣言。米国は海上封鎖を再開。
11/2 ソ連はミコヤン第一副首相をキューバに派遣。ケ大統領は、キューバのソ連ミサイル基地撤去の事実を認め、「キューバの国際査察は赤十字国際委員会があたるのが適当」と発表。
11/5 キューバに向かう船舶を赤十字国際委が公海上で査察することに同意。
11/7 ソ連はミサイル撤去船が米海軍の点検を受けることに同意。フ首相は十月革命記念レセプションで、キューバ危機は去ったと語る。
11/9 五隻が米海軍