東京市 35 区の成立

昭和 7 年


現在知られる「東京 23 区」の範囲の原型はこの時期に定まった。

同年、東京府下の周辺 5 郡(豊多摩郡など)82 町村は 20 区の区制に編成され、すでに「東京市」を構成していた 15 区に加え 35 区となる。これが戦後 22 区にそしてまもなく 23 区に整理され、現在に至る。

現在の 23 区と比べると、次の点が異なる:

i) 中心部の千代田、中央、港、新宿、文京、豊島、台東、墨田、江東、荒川などの諸区はさらに細分されている。

ii) 周辺部はほぼそのまま現在の 23 区制に移行。ただし、
   ・ 大森区と蒲田区は合併して「大田区」に。
   ・ 板橋区は当初そのまま移行したが(22 区制)、まもなく練馬区を円満分離(23 区)。
   ・ 荏原(えばら)区は品川区に編入。
   ・ 王子区は北区と改称。

図は昭和 16 年「地形社」の編集のもので、東京大空襲による崩壊直前の東京の行政区分を表している。


[参考]  「郡」(ぐん)の推移

もともと、律令制で「国」の下、「里」(「卿」)の上の行政区画。旧「武蔵国」は 22 郡から構成されていた。
明治政府は府・県の下としてこれを継承したが、行政単位としては 1923(大正 12)年廃止。以後は地理上の区画として存続。