1972 年 5 月施政権返還
今も残る広大な基地
沖縄県は、去る太平洋戦争においてわが国の防衛及び本土決戦に備えた軍事基地が建設され、米軍との戦闘の最前線基地となったことから、国内で唯一の地上戦の戦場になりました。
戦後は、米軍占領とサンフランシスコ講和条約の締結によって、日本本土から切り離され、以来 27 年の長期にわたり米軍の直接統治下におかれました。その間、昭和 24 年以降における中華人民共和国の成立、朝鮮戦争の勃発等極東における国際情勢の変化を背景に、米軍は、民有地を強制的に接収し、沖縄本島を中心に米軍基地を拡張・強化してきました。また、米軍の統治下で、県民は様々な基本的権利の制限や抑圧を受けながら、米軍人・軍属等による事件・事故や爆音被害等、基地から派生する様々な問題との同居生活を余儀なくされました。
また、効率的な基地の維持を目的とする米軍の政策の下で、軍雇用をはじめ、基地関連のサービス産業を中心に、いわゆる基地依存型の経済社会が形成され、自立性に乏しい産業構造が形成されていきました。
このため、平和憲法の下にある日本本土への復帰が全県民の悲願となり、いわゆる「島ぐるみ」の運動が実を結んで、昭和 47 年の本土復帰が実現しました。
しかしながら、県民は本土復帰に際し、「基地の無い沖縄」を求めましたが、実際には多くの基地がそのまま日米安保条約及び日米地位協定に基づく提供施設として存在することになり、復帰後においても基地の整理縮小は進まず、今日なお、広大な基地の存在から派生する様々な基地被害によって県民の生活は大きな影響を受けている状況にあります。
復帰時(昭和 47 年 5 月)に 87 施設、約 2 万 8,700 ha あった米軍基地は一部返還されましたが、平成 13 年 3 月末現在で 38 施設、約 2 万 3,753 ha もあり、依然として広大な面積を占めています。
これは、県土面積の約 10.5 %であり、特に、沖縄本島に限れば、その約 18.9 %を米軍基地が占めていることになります。
このように、沖縄県に所在している広大な米軍基地は、復帰から 30 年を経た今日においても、地域の振興開発を進める上で大きな阻害要因であり、自立的な経済活動の確立を図る観点からも大きな制約を受けている状況にあります。
出典:沖縄県『復帰30年のあゆみ』
<統計準備中>