林周二『研究者という職業』東京図書, 2004

―― 「研究者心得 8 ヶ条」 ――

林先生と私

 制作者(松原望、以下「私」)が統計学を研究の分野としてえらぶきっかけとなったのは、1962 年、大学 1 年(東京大学教養学部 1 年)で林先生の統計学の講義を聞いたことがきっかけであった。幼少から腺病質で体が弱く(実はそれほどではなかったのだが、その自意識を強く持っていた)、体育の時間は人知れず悶々とし、コンプレックスを持っていた私は、では「お勉強」で行くほかないとガムシャラに勉強し、中学、高校の頃から、しぜんに大学の先生のこととか研究とか、留学とかその方面の人生を考えるようになっていた。そこに大学で林先生の影響である。私が統計学を選んだのは、順当な成り行きだった。

 それは何百人もの大教室での講義であったが(多人数講義は良くない、小人数講義は良い、というのが最近の考えのようだが)、切れのいい論理と話しぶり、クリヤな説明、魅力的に話す話術と内容、そして何よりも眉目秀麗、こういった先生のかっこよさに、新入生の私は、大学の講義、大学の先生とはこういうものか、とすっかり感じ入ってしまった。もちろん私を知っていてくれたわけではない。先生とのつながりはずっと後のことである。

 林先生の学問や研究に対する考えは重々しいというのでなく、人生論的きびしさと暖かさそして鮮やかさがあり、まさにスッキリした青空のように解放され自由になった学者の心を感じさせる。その自由さは「こわさ」さえ感じさせる。いってみれば、林先生が理想とされる境地は、どちらかといえば、理性よりも厚みや暖かさのある知性(人物でいえばゲーテ)、私はむしろ鋭く透徹した理性(同じくデカルトやパスカル)であるが、林先生が愛する日本にははるかに前者が合うだろう。とはいえ、いずれの理想から考えても我が国の学問は満足すべき状態ではない。研究している者は、自由闊達な議論よりは目先のことそれ自体を追うのに多忙である。そうしなければ認めてもらえない。意味や背景は考えるヒマがなく、ややもすれば「重箱研究」(重箱のスミをつつく研究)になる。師弟の関係も人格的なものは希薄になっている。全体に、日本の学問は退歩しているという心配さえしてしまう。とはいえ、希望はまだまだあるのだが・・・。

 もっとも学問は常にこう言われてきたという面もないわけではない。実際、研究者の人生も人が思うほど楽ではない。林先生が勧める「研究者心得 8 ヶ条」を研究者が生き抜く人生の道しるべの一つとして挙げておこう。


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