本書は、東京大学の教養(前期)過程の改組で好評を博した新設科目「計量社会科学」のテキスト『計量社会科学』(東京大学出版会,1997)へのわかりやすい基礎入門篇である。複雑多様な「社会」を読み解く、あるいはより意欲的にいえば「なぞ」を解くというアプローチをとることで、社会科学における計量的方法をより興味深くしぼりこんでいる。
『同じ名前なのに、朝は 4 本足で、昼は 2 本足で、夕方には 3 本足で歩く動物は何か?』ギリシャ神話のなかの怪獣スフィンクスは、美しい女性の顔のライオンの体を持っていたが、テーバイの城門の岩の上に座り込み、道行く旅人に片端からこの「なぞ」をかけ、答えられないと次々と食い殺してしまうというなかなか恐ろしい存在だった(ちなみに、エジプトのスフィンクスは別ものらしい)。通りかかったオイディプス王が、それは「人間」である、幼児期には這い、青年期・壮年期には立って歩行し、老いては杖をつく、と答えた。見事に謎を解かれて負けたスフィンクスは自殺し、怪物は退治される。さずがギリシャ神話だけあって、「なぞ」の答えが「人間」というのは哲学的で、意味深長である。たしかに、何といっても「なぞ」の最たるものはわれわれ自身の「人生」である。
1人の人間でさえ「なぞ」であるから、その人間が作る「社会」はさらに大きい「なぞ」であろうか。どうも日本は戦争に向かっているらしい。しかし、戦争は1人ひとりの憎むものである。それならなぜ?人間は忘れやすい動物だから?すべての人が憎むものにもかかわらずそうなるのは、恐ろしいことだが、それだけのメカニズム(仕組み)が人間の社会にあるからとしか思えない。ただ「社会」というものはなかなか複雑で、一見して分かるものではない。この複雑さを整理するためには、たとえば「ゲーム理論」はあるいは役に立つかもしれない。
また、日本は超高齢化時代を迎え、しかもそれは世界の中でだいたい日本だけである。考えてみればこれも「なぞ」である。日本人は特殊な人種というわけではないから、これには原因があるのだが、どういうわけかこの原因はあまりさぐられていない。日本人はわりと意識的に政治や経済の仕組みを作りあげてきたから、現在はある意味でこの50年間の日本社会の来た道の必然の結末である。1年、2年ならともかく50年の間なぜそれを読めなかったのか。それは、「社会を読む」ということは具体的にものさしや温度計を読むように簡単ではないからである。そこは社会のデータ読みで納得、という面がないとも限らない。
このように、社会を読むためには、知識や情報そして何よりも思考の方法や仕組みが必要である。マスコミやメディアのもたらす知識や情報はたしかに有用で重要だが、これら自体は思考というよりは思考材料であり、あくまで思考は受ける者の主体性による。この「主体性」もただ問題意識が先走るだけでは空回りするだけである。本書は、できるだけ広い範囲の人びとのために、統計的データの分析力や、確率やゲーム理論など計量的思考を習得し、意思決定へと総合していく基本力を養うことをめざした基礎演習の書である。
本書の内容は次のごとくである。
(i) | 統計の見方と利用のしかた | 第1章〜第3章 |
(ii) | 意思決定と確率 | 第4章〜第6章 |
(iii) | ゲーム理論入門 | 第7章〜第10章 |
(iv) | 政策と決定のしくみ | 第11章〜第12章 |
(v) | 計量社会科学研究 | 第13章〜第15章 |
これを半年の授業(12,13 回)に割り振れば、(i) より (iv) をほぼ 1 学期に終る。第 13 章以降は著者の研究である。
本書は、購入後も、読者の理解の深まりと学習のレベルの発展に応じるため、次の半永久的インターネット・ウェブサイトでサポートされている。
http://www.qmss.ne.jp/preqmss
本書の窮極の目的は、日本人が人間としての知性と理性をとり戻して、次世代に譲りうる日本を創る一助になることである。僭越ながら、本書を戦前・戦後を通じ、自由と公平、平和と正義のために戦い倒れたすべての人びとに捧げたい。
東京 湯島本郷にて
2004年3月31日新しき出発の日に
松原 望