アリストテレス『オルガノン』

分析論後書

学問のためのガイダンス

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 第1章概説へ


 思考のはたらきによる、すべての教授、すべての学習は、どれもみな、〔学習者の内に〕予め存する認識から生れてくる。これはそのすべての事例をひとつひとつ眺める時、明瞭である。実際、数学的な諸科学はこの方式で得られてくるし、その他の技術のそれぞれもまた同じである。〔弁証論の〕論法も、それが推論によるものであるにせよ、帰納によるものであるにせよ、同じである。というのは、これらの論法はいずれも予めひとに知られているところを用いて知を授けるものであって、前者、すなわち、推論によるものは〔前提とするものを〕相手がすでに弁えているものと見なして、これを摂取、容認し、後者、すなわち、帰納によるものは個々のものが明白であるという理由によって、〔個々のものに亙る〕全体的なものを証明するからである。弁論術の論法が人を説伏するやり方もまた同じである。すなわち、それは例証論法によるか、推量論法によるかであるが、前者は帰納であり、後者はまさに推論である。

 〔ここで〕「予め知らなければならない」と言う〔時、そこ〕には二通りの意味がある。すなわち〔1〕或るものについては、「〔そういうことが〕ある」ということを予め基礎に容認することが必然であるが、〔2〕或るものについては、「〔そこで〕言われていることが何か」〔その標示する意味〕を弁えていなければならない。そして、〔3〕或るものについては、その二つともが必要である。たとえば、「すべてのことは、これを肯定するか、否定するかのいずれかが真である」〔排中律〕ということについては、「〔そういうことが〕ある〔=真である、成立する〕」ということをひとは予め基礎に容認しておくことが必然であるが、「三角形」については、「それがこのことを標示する」ということを弁えていなければならず、「一つ」についてはこの両方、つまり、「それが何を標示するか」を弁え、「それがある」ことを基礎に容認して置かなければならない。実際、これらの事柄のそれぞれがわれわれにとって明らかなのは同じ意味においてではないからである。