プラトン『国家』

ついに来た大浪

プラトンの哲人国家論

 トップページへ
 第1章概説へ


 「では、つぎにわれわれが探求して示さなければならないのは、思うに、今日もろもろの国において、われわれが述べたような統治のあり方を妨げている欠陥とは、そもそも何であるか、そしてそのような国制のあり方が、ある国において実現することを可能ならしめる最小限の変革とは、どういうものか、という点だ。この変革は、できればただ一つの変革であることが望ましいが、だめなら二つの、それでもだめなら、とにかく数においてできるだけ少なく、力の規模においてできるだけ小範囲にとどまるそれであることが望ましい」

 「ええ、まったくおっしゃるとおりです」

 「そこでぼくの考えでは、ある一つのことさえ変革されるならば、このことによって、望ましい変革が可能となるのだということを、われわれは示すことができるだろう。その一つのことというのは、けっして小さなことでなく、容易なことでもないが、しかし可能なことではある」

 「どのようなことなのです、その一つのこととは?」

 ぼくは言った、

 「さあとうとう、最大の浪に譬えていたものに、われわれは直面する時が来た。が、とにかく、これは語られねばならぬ。たとえそのために、文字どおり笑いの大浪に押し流されるように、嘲笑と軽蔑に押し流されてしまうことになろうとも……。では、これから言うことを、注意して聞いてくれたまえ」

 「おっしゃってください」

 「哲学者たちが国々において王となるのでないかぎり、あるいは、今日王と呼ばれ、権力者と呼ばれている人たちが、真実に、かつじゅうぶんに哲学するのでないかぎり、つまり、政治的権力と哲学的精神とが一体化されて、多くの人々の素質が、現在のようにこの二つのどちらかの方向に別々にすすむことを強制的に禁止されるのでないかぎり、親愛なるグラウコンよ、国々にとって不幸のやむことはないし、また、人類にとっても同様だとぼくは思う。さらに、われわれの論じきたったような国制にしても、このことがはたされるまでは、可能なかぎりそれが実現されて陽(ひ)の目を見るということも、けっしてないだろう。
 さあ、これが、ずっとまえからぼくが口にするのをためらわざるをえなかった考えなのだ。世にも常識はずれなことを語ることになると、わかっていたのでね。なにしろ国家のあり方としては、こうする以外に、個人の生活にも、公共の生活にも、幸せをもたらす途(みち)はありえぬという、このことを洞察するのは、至難の業だからね」

 するとグラウコンが言うには、

 「何というおことばを、何という説を、あなたは公表されたことでしょう!そんなことを口にされた以上は、ご覚悟くださいよ。いまやたちまち、あなたに向かって、ひじょうにたくさんの、しかもけっしてばかにならぬ手ごわい連中が、いわば上着をかなぐり捨てて裸(はだか)になり、手あたりしだいに武器をひっつかんで、ひどい目にあわせてやるぞとばかり血相変えて押し寄せてきますからね。その連中を言論によって防いで、攻撃を脱(のが)れませんと、あなたは、ほんとうになぶりものにされて、思い知らされることになりますよ」

 「ということになったのも、もとはといえば、君のせいではないかね?」とぼくは答えた。

 「ええ、これでよかったのです。でもわたしは、あなたを裏切るようなことはしませんよ。できるだけのことをして、守ってあげましょう。ただしわたしにできる手段(てだて)といえば、好意をもつことと、励ましてあげることです。それとまあ、たぶん、ほかの人よりも適切に質問に答えてあげることもできるでしょうか。とにかく、そういう味方がそばに控えていると見なして、あなたの言うことを信じない人たちに、お説の正しさを示してやるよう、つとめてください」

 「そうせねばなるまい。君もそのように、強力な援軍を差し向けてくれるということだしね。
 さて、そこで思うのだが、もしわれわれが君の言うような手ごわい連中の攻撃を脱れようとするなら、哲学者たちこそが支配の任にあたるべしとわれわれがあえて主張するばあい、われわれのいわゆる<哲学者>とは、どのような人間のことなのかを、彼らに向かって正確に規定してやらねばなるまい。というのは、これがはっきりすれば、われわれの立場は、生まれつき哲学にたずさわるとともに国家の指導者となるのにふさわしい者もいるが、哲学にたずさわることなく指導者に従うのにふさわしい者もいるという事実を指摘することによって、防御できようからね」

 「そうです。いまは、その規定をしなければならぬときでしょう」

 「さあ、それでは、ぼくがこれから言うところに、ついて来たまえ。問題の点を、何とかしてじゅうぶんに説明できるかも知れないかも」

 「どうぞ」と彼はうながした。