T.C.シェリングの「フォーカル・ポイント」

正義観念は社会の戦略的固着点

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 第1章概説へ


 問8 あなたがそこにある10万円をふたつの山A,Bに分けるとします.あなたの相棒もまた,他の10万円をふたつの山A,Bに分けるとします.あなたと相棒の分け方が同じならば2人とも各々10万円もらえるものとします.ちがっていれば何ももらえません.あなたはいくらといくらに分けますか.

(図表制作中)

回答 10万円の分け方

(図表制作中)

解説 分配の公平性の問題であり,より理論的には,いわゆる「正義」にかかわりをもつ問題である.これは,後述の問15で詳細に論じられるが,ここでは,当事者の社会経済的地位(例として,収入,門地)などのアイデンティティーが一切前提とされていない.したがってアリストテレスの「規制(平均)的正義」が卓越する場,つまり,‘平(たい)らかに均(ひと)しかるべき’場となる.

本問でも,公平・平等が,極めて顕著なフォーカル・ポイントであり,ほぼ完全一致(9割)を見ている.これだけの完全性は他の問にはない.

「平等」の理念が,人類の歴史上,他のどんな理念よりも人を奮いたたせ,人を糾合し,人を方向づけて来ることができた潜在力の根拠はここにある.たとえば,「アメリカ独立宣言」(1776年7月4日)「フランス人権宣言」正式には「人間および市民権利宣言」(1789年8月26日)が,いずれも,伝統による君主制でなく「平等」のイデオロギーによって,一つの国家政体−共和制−を作りあげたことは,その例である.


 問15 Aさんに10万円,Bさんに15万円の収入がありました.2人であわせて2万5千円の税金を払わなければなりません.相談しないでそれぞれが別々に負担額を申し出て,その合計が2万5千円以上になっていれば申し出た額を負担して余りは税務署員が受け取ることにします.もし2人の申し出た負担額の合計が2万5千円未満の時には,各自がそれぞれ2万5千円を支払わなければならないことにします.
(i)あなたがAさんならば,いくらの負担額を申し出ますか.
(ii)あなたがBさんならば,いくらの負担額を申し出ますか.

回答 負担額の申し出

(図表制作中)

解説 収入に比例した負担がフォーカル・ポイントとなっている.社会の正義原理が我々の共有している正義感覚に合致すべきことは,たとえば,J. ロールズの「公正としての正義」(Justice as fairness)において,代表的に主張される,実質的正義論の基本的前提である.‘収入に比例して負担すべき’という原理が,対立状況の中でさえ,100パーセント完全でないにしても,なおかつ5,6割の一致を実現し得て,利害集団を統合しうる機能を有するということは,現実問題として注目に値する事実である.

「正義とは何か」という探究は,人類の哲学の歴史と共に古く,古代ギリシア以来2500年の歴史をもつ永遠の課題である.周知のごとく,アリストテレスは有名な「ニコマコス倫理学」において,「配分的正義」(第3章)を「正しさとは,これ,すなわち比例をなすもの」として定義し,これに対して,「規制的正義」(第4章)を「人と人の関わりあいにおけるある種の平等」として定義した.本問はまさに前者の配分的正義を提示したものとして解される.後者は,不法行為と損害賠償の相等が典型である,(アリストテレスもその例を提示している)とされ,高尚な人が劣悪な人から金銭を詐取しても,その逆でも,変りはないと説くのである.

しかしながら,問題は基本的に解かれているのではない.配分的正義において,「万人が同じひとつのものを値打とみなしているのではなく,民主主義のひとは自由を値打とみなし,寡頭主義のひとは富を(あるひとびとは良い生れを),貴族主義のひとは器量を値打とみなしている」からである.すなわち,基準とする価値尺度に依存し,構造は多次元的様相を呈するのである.もちろん,これは,矛盾ないしは問題点の一つにすぎないが,本問は,「富」をしかも既に計量して提示したのであるから,比較的容易に一致の得られるフォーカル・ポイントが出現したのである.

もっとも比例原則でさえ,常に(対立する両者の間に)明確なフォーカル・ポイントを提供するとは限らない.軍縮問題ではしばしば解決の困難な論争が発生する.10000発,5000発の核弾頭を有する2国,A,Bが弾頭廃棄の軍縮案を,等しい50%で決定しようと意図しても,B国の指導者は−A国は2倍廃棄しているにもかかわらず−これをB国の劣位を固定化する策謀と解釈するかもしれない(1)).もちろん,これ以外の比はさらに不明確,不安定なものであり,一層錯綜した論議をよぶことは,必定である.軍縮問題を比率で議論することは,例えば,1930年のロンドン軍縮会議−主力艦トン数比を英米日の間で5:5:3の比とする−を典型例として一見明確さを保障するようであるが,問題はなおかつ困難をきわめるのである.

議論を正義論に戻せば,今日の正義論の主流は,正義の問題を,ひとまず道徳感情や心理から切り離し,その展開を厳密な論理的規整のもとにおく,論理実証主義の影響の下にある.ロールズの「公正としての正義」論は,それらの確立された方法論に立脚しつつも,社会的体系としての実質的規範倫理の確立めざして,一つの脱却の方向を示唆しているが,効用理論,ゲーム理論など,意思決定理論と交錯する領域も大きいのである.この方向では,将来への,不確実性が,正義,公平の問題としてどう扱われるか,理論的に興味深い.パスカルは「パンセ」において,賭を途中で止めた場合,どのように賭金を分配することが公平か,という象徴的な形で問を発している.

1) この指摘はHolstiによる.実際,1985年11月,ICBM50%削減案がジュネーブにおけるレーガン,ゴルバチョフ両首脳会談(サミット)で論議されたが,両者の考え方の懸隔は大きく,ことにSDI(いわゆるスターウォーズ計画)の問題も絡んで,合意をみなかった.