セネカ『幸福な人生について』(5)

幸福な人は欲望を恐れない.

自己の立場に常に立つ.

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 第3章概説へ


5 私は自由に議論を始めたので、幸福な人というのは、理性のおかげで、欲も恐れもない者だと言うこともできよう。岩石にも恐れや悲しみはないし、同じように牛馬にもないが、だからといって、幸福の実感を持たないそれらのものどもを、幸福だと言える者はないのである。人間でも、これらと同列に置いてよい者たちがある。愚かな性質と自己を弁(わきま)えない無知によって、家畜や無生物の仲間に数えられる者たちである。これらの人間どもと動物どもの間には、何らの相違もない。後者には理性は全くないし、また前者には歪(ゆが)んだ理性か、己(おの)れの悪事や不正に長じた理性しかないからである。つまり真理の外に投げ出された者は、誰ひとり幸福だとは言われないからである。それゆえ幸福な人生とは、公正で確実な判断に基づく安定した不変の生活である。そのときには、心は全く澄みわたり、あらゆる悪から解放され、深手はおろか、かすり傷さえも免れるであろうし、また自己の立場に常に立ち、たとえ運命が怒って攻撃しようとも、自己の座を固守するであろう。快楽に関しても、たとえそれが四方八方から殺到し、あらゆる道を通って流れ込み、その甘い言葉をもって心を軟弱化し、手を変え品を変えてわれわれの全体をも部分をも掻き乱すとしても、人間の痕跡を少しでも残している者ならば、誰が昼も夜も快楽に擽(くすぐ)られ、心を見捨てた肉体に奉仕することを望む者があろうか。

・ 下線部引用者