人は幸福か:現況報告

その1 学びの幸福

その2 幸福は学びうるか

マネ <<笛吹く少年>>1866年 パリ、オルセー美術館

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目次

はじめに
学者の快楽主義と禁欲主義
学ぶことの幸福は金銭的な幸福と逆の面がある
人間の幸福
幸福は学びうるか
「国家」と「社会」のクローズ・アップ
トルストイに見る現代人の不幸論
他人(ひと)の幸福を知って、自分は幸福か不幸か
幸福はファンタジー
相関社会プログラム旧稿(三)


はじめに

 よく「人生は短い」という。「長い人生にはいろいろなことがあるさ」というのはむしろ例外で、洋の東西を問わず人生の短さはかなさを嘆くことばは多い。「芸術は長く、人生は短し」Ars longa, vita brevis (ヒポクラテス)、「少年老い易く、学成り難し」(朱熹「偶成」)、あるいは織田信長が本能寺で非業の最期をとげたときに舞った伝える「人間五十年、下天(げてん)のうちをくらぶれば夢まぼろしのごとくなり、一度生をうけ滅せぬもののあるべきか」(幸若「敦盛」)。これだけ寿命がのびた現代でも人生はまだ短いという印象は強い。

しかし、私はローマの哲人政治家セネカ(前4 –後65)のことばにはいつも勇気づけられる。

「われわれは短い時間をもっているのではなく、実はその多くを浪費しているのである。人生は十分に長く、その全体が有効に費(ついや)されるならば、最も偉大なことをも完成できるほど豊富に与えられている」

 良く生きれば人生は十分に長い。したがって、長い、短いをきめるのは、どれだけ良い人生を生きられるかということになろう。「良い人生」を「幸福な人生」といいかえてみよう。では「幸福」とは何か、われわれは幸福なのか、どのようにすればわれわれは幸福になれるのか。これについて、古代ギリシアの哲学者アリストテレスは「幸福」の条件をいくつかに分類しているが、ここはドイツの哲学者ショーペンハウアー(1788-1860)の『幸福について-人生論』の整理のしかたを借りてみる。ショーペンハウアーによれば、人生の財宝には三つの部類がある。第1は人のありかた(人品、人柄、人物。これには健康、力、美、気質、道徳的性格、知性とその完成が含まれる)、第2は人の有するもの(あらゆる意味での所有物)、第3は人の印象の与え方(他人のいだく印象に映じた人のあり方と思惑。名誉、位階、名声に分けられる)である。人のありかたは、人の有するものや人の印象の与え方よりも、人の幸福に寄与するところが大きい。人のありかたとは人の本来有するものである。

 どのようにして人は幸福になれるのだろうか。この答えはまさに千差万別だが、やはり一つのやりかたは、やや遠回りだが、「学ぶ」ことである。学ぶことは人の幸福にふさわしい。なぜなら、人は学ぶことによってまさにその人のありかたを良く変えることができるからである。もちろん、私がここにおいて「学ぶ」と言っているのは、大学に入らなければとか、大学を出ていなければ、とかを指すためではない。すべての人はいつどこにおいても学ぶことができるのでなくてはならない。なぜならすべての人は幸福を求めるからである。

 しかしながら、すでに述べたショーペンハウアーの分類には「人のありかた」のほかに、第2の「人の有するもの」、第3の「人の印象のあたえ方」があった。たとえば、お金や財産、そして地位や出世がこれに当たるが、これらをまとめて「実利」とあらわそう。「学び」が「人のあり方」を変えるのでなく、この「実利」に結びつく場合は、幸福との関係はどうなるだろうか。最近は仕事の評価に能力主義が取り入れられてくると、「学ぶ」ことの意味も変わってくるのではないか、と考える人も少なくないかも知れない。このかかわりで、話は遡って、明治5年「学制」の発布、つまり日本における学校制度の始まりのことに思い当たる。「学制」は、時期的にも国家主義色の強い「教育勅語」(明治23年)のはるか以前であり、内容もこれと対照的に教育は人のため(身を立てるため)というなかなか開明的内容をもっている。いわく「サレハ(だから)学問ハ身ヲ立ルノ財本トモ云ヘキ者ニシテ人タルモノ誰カ学ハスシテ可ナランヤ。」

 ここで「身を立てる」とは何かをくわしく論じる余裕はないが、それはとにかくも、「学び」の目的が何であれ、「学び」である以上さしあたりは打算や実利を超越し人の内側にはたらきかけ、考えさせる要素は大きい。その意味では「人のありかた」を向上させる。たとえばお金をもうけるために経済学を学ぶのであっても、人は何のために労働するのか、どういう意味においてお金は必要なのか、人は何のために生きるのか、という問いと無関係に経済学を学ぶことはできない。学ぶこと自体、人を思慮深くするのである。『論語』の「為政」篇に「学びて思わざればすなわち罔(くら)く、思いて学ばざればすなわち殆(あや)うし」という有名なくだりがあるが、これも学ぶことが人の内側に働きかけることを簡潔にあらわしたことばである。

 「学ぶ」こととその学んだ結果のまとまりをあわせて「学問」という。広辞苑には「学問」とは「勉学すること、またそうして得られた知識」とある。固いイメージを思い浮かべるが、それでも学生の間で「天才柳沢教授の生活」というコミックの主人公が妙に人間的で人気があるらしい。この私も何十年も学問を職業とし大学を職場としてきたので、「学び」を通じて人の「幸福」とは何か考えさせられるチャンスも多い。学ぶことは人の幸福のありかたや人のあり方とどうつながるか、そこで、体験や感想を材料に自省してみた。ところで、あたりまえだが大学(職業)を離れたひとりの「私」もいるはずで、ついで「私」としての「幸福論」を考えてみた。そうしてみると、日頃は考えなかった私なりの「人は幸福か:現況報告書」のようなラフ・スケッチが手元に残ったのは、われながら意外でむしろこのほうが面白かった。ここにもうひとつの大きな課題が浮かび上がるからである。

 「幸福」ははたして学んだり教えたりできる対象だろうか。たしかに、人は悩むとよく哲学書を読んで考える。また経済学、社会学、政治学、法学、文化人類学などの見地からさまざまに科学的に分析してゆく人もいる。これらはある程度有効である。たとえば、人間が完全に幸福でないとすれば--そして、それはほとんどたしかだが--何がそれを妨げているのか、と。ここでわれわれは、まずは、「国家」や「社会」など人間が作った目に見えない外側にわれわれが囲まれていることに気づく。しかしこのことは、正確な分析はあるにしても、あまりにありきたりで新味がない。では、外側を除けて「われわれだけ」なら幸福になれるのか。が残念ながら、なかなかなれないだろう。なぜか。答はむずかしいが、思い切って「しっと」(ジェラシー)をとりあげてみた。「しっと」をとりあげることが格別に妙とはいえないのは、すでに人のもう一つの性質「エゴイズム」はとりあげられているからである。つまり、「市場」とは形を変えた、というよりは形を見えなくした「エゴイズム」が、期せずしてうまく働いているシステムであり、この法則を見出したのが経済学者アダム・スミス(1723−1790)である。

 けれども、幸福は学んだり教えたりされるよりは、むしろみずから感じあるいは親しいものたちと共感するものではないか。幸福は学問以前、いや「哲学以前」でさえあるのではないか。そう思えてしまう。われわれの学びもその方向をさしてゆくのがいいのではないか。まずは本文を読んでください。

学者の快楽主義と禁欲主義

 大学の先生は「学者」といわれている。学者は学問を職業としている人のことである。といっても、学問は学者だけのものではない。反対にいうと、職業ともなると別物になり、かえってほんとうのことがみえなくなる部分もある。家庭菜園で楽しまれる野菜作りも、農業ともなればお金の要素が入る。車もマイカーなら大切に手入れするが、タクシー・ドライバーの車なら営業的配慮も働く。大学教授も毎週、毎日の講義になぜか情熱がわいてこない日もある。

 そこで、そもそも学問をするとは何だろうか。これには2つの大きな要素があるように思う。まず、一つは「好きなこと」をするという面である。自分の関心事、知識欲、達成欲を満たすことは基本的には楽しく、人生を充実させるからである。アリストテレスは「すべて人間は本来知ることを欲する」と云っている。学問することは人だけにそなわった喜びであって、人以外の動物にはそれはない。学ぶことは人の重要な快楽の一つである。「快楽」というとやや奇異かもしれないが、少なくとも正しい意味での快楽主義に合致する。私がここで「正しい」とかいったのは、むかしエピクロス(前342−271)という哲学者が提唱した快楽主義はまじめなものなのに、誤解を受け続けているからである。快楽主義を信じている人々はよく「エピキュリアン」(エピクロス主義者)と呼ばれているが、快楽主義とは「快を自然に従わせること」をいう。肉体的享楽にふけることとは全く別である。度を過ごす、無理をすることは自然に反するのである。ここでいう「自然」とはふつうの自然環境だけをさすのではなく、天地万物の道理といった意味である。この言い方をすると、人が学ぶことによって喜びを得るということは、すごく自然なのである。つまりはイヤイヤながら学ぶということはもともとあり得ない、というよりそれでは「学ぶ」ことにはなっていない。

 もう一つはこれとは反対の「禁欲主義」の要素である。学問には「勉強」がつきものであるが、この勉強は「強いて勉める」、つまりずばり禁欲主義そのものである。もともと禁欲主義は、感性的、肉体的欲望を理性や意志によって抑え、道徳的な理想を達成しようとする生活態度のことで、そのもっとも徹底した例では、お寺の修行僧の苦行や修道院のシスターズの隠遁生活がある。しかしわれわれの日常生活でも禁欲主義的な面は実に多くある。たとえば、皆が遊んでいるときでも自分は勉強する、働く、あるいは正しいルールや義務をきちんと実行する。これでわかるように、禁欲主義は世間の動きに惑わされず、精神の独立、最近の言葉でいえば「自己決定」を大切にする。いきおい、浮世離れをした生活をしているように見られる。私の体験でも、今になっておもえば、少年時代には虚弱体質の反動で禁欲主義に親近感をおぼえたものである。それが他人がいやがる勉強の苦痛をむしろ歓迎し、大学の教師を職業として選ばせたのだとおもう。多くの他の職業でも似た体験を持つ人も少なくないはずだ。

 禁欲主義は誰にでもある行動のパターンだが、歴史でみるとその精神面の一つに「ストア主義」がある。禁欲主義を信奉する人をよく「あの人はストイックな人だ」などというが、そのストア主義である。さきにのべた快楽主義とならんでこういう考え方のルーツも古く、紀元前2、3世紀のギリシアにさかのぼる。「ストア」とはこの学説が述べられたアテネの柱廊(ストア)にちなんでいるのだが、これらの人々の一人で哲学者セネカ(前4 –後65)は、人間の幸福は自然に適合し、無理なく心安らかに平静に生きることであると説く。では「自然」とは何か?これは先にも述べたが、われわれが天地万物の道理、神の摂理などというときの「理」、それによって森羅万象が生み出される源をさす。歴史的に見ると、それまでの自然哲学を元にして倫理学を展開したアリストテレスはそのルーツといえるが、ストア学派はそれをうけたゼノン(前336/5 – 264/3)をもって開祖とする。その後、キケロ(前106−43)、暴君ネロをいさめたといわれるセネカ、ローマの「賢帝」の一人といわれたマルクス・アウレリウス(121−180)など高い位にいた人、エピクテートス(55頃−135頃)のように奴隷の身分から身を起した人など、さすがにストア主義の個人主義にふさわしく、階級の別なくそれぞれ、欲望を恐れず理に基づいた人生(セネカ)の幸福を説いている。

 ところで、そうなると学問をすることには快楽主義の面と、禁欲主義の両面があることになるが、そもそも快楽主義と禁欲主義は矛盾しないのだろうか。ほんとうのところを知ればこれらは矛盾しない。ストア主義者セネカも、仲間(ストア主義者)には悪いがエピクロスの言っていることは相当に正しい部分がある、と述べているように、ほんとうの快楽主義と禁欲主義は基本としては同じ内容をめざしている。実際、ストア主義者は「心を自然に従わせる」こと、エピクロス主義者は「快を自然に従わせる」ことを説いている。というのも、エピクロスの教えによれば、自然の最も重要部分を占める快はそれ自体としては悪いものではない、しかしある種の快は行き過ぎれば何倍もの心の煩いをわれわれにもたらすからである。わかりやすくいえば、セックスやグルメの快も行きすぎれば必ず弊害(苦痛)をもたらすのである。もっとも、ここまで来れば、これらは学問のことだけでなく、すべての人にとって人生をすごすための教訓となるのであろうが。

学ぶことの幸福は金銭的な幸福と逆の面がある

 学問はすべての人に開かれている。学びの目的は、知的な関心であったり、視野や考え方を広げる、あらたな能力の得ることのためなどで、ひとくちでいえばその人の内面が充実することあるいは発展することである。それが達成されることには大きな精神的喜びがある。したがって、学問は直接にお金をめざすものではない。となると、学問に限らず、快楽主義も禁欲主義もしかるべき経済的条件がないと成り立たない。最低収入がしかも安定した流れとして入ってこない状況では、好きなことをやって世の中を生きていくことも、また結果的には浮世離れした生活を実行することもなかなかむずかしい。学者は職業として学問に従事するが、よく「好きなことをやってお金をもらえていいですね」といわれる。しかし、それは事実とちがう面がある。大学を卒業してすぐに職に就く人はこの条件が成り立つが、学者をめざそうとすると、駆け出しのころは、食うや食わずのスレスレの生活を最初のハードルとして覚悟しなければならない。学者の経済生活は一応の生活水準には達しているが、決して世間が想像するほど裕福というほどではない。好きでそういう道を選んだのでは、という面はたしかにある。といっても、学ぶことは何も学者だけではないはずで、すべての人に学ぶ喜びを知る権利があるとすると、人が学ぶのに経済的負担が重いことはいいことではない。それでも、学ぶことの本質は精神的幸福であって、物質的・金銭的なものではないことは肝に銘じておこう。

人間の幸福

 すべての人は幸福になるために生まれて来る。学ぶこともそのためである。ところで、このごろ学ぶことをひとりひとりの人生との関わりで考えてゆくことがめっきりすくなくなった。だから、私はまずは、入学式やオリエンテーションで「皆さん、学問は人生のためにあるのですよ、学問のために人生があるわけではない」とよびかけ、人生は一回しかない、敷かれたレールの上を行くよりは一度は自分の生き方から広くながめてみるようにと、アドバイスしている。

 私はもとは理科系の出身であるから、学ぶにしたがって、自然や宇宙にある真理や法則がだんだんと自分の前に姿をあらわしてくることにスリルと喜びを感じたものである。ところで、ずっと以前から次のような非常に気になっていることがある。フランスの思想家アルベール・カミュ(1913−1960)は以前から人気ある思想家、哲学者であるが、その代表作品『シジフォスの神話』で、有名なガリレオ・ガリレイの地動説に対する宗教裁判にふれ、ガリレイが裁判の中で自説を曲げ地球が動くことを取り消すことで命が助かった-----その際「それでも地球は動く」とつぶやいたとか、つぶやかなかったとか-----のは、むしろ全く当然だという。なぜならば、地球が太陽の周りを回るのか、太陽が地球の周りを回るのか、それはどうでもよく、命を賭けるような大問題ではないのであって、人生最大の問題とははたして人生に生きる価値があるのかどうかなのだ、と。カミュはいい過ぎの感があるにしても、ガリレイや自然科学を低く見るためにそう云ったのではなく、むしろ彼のことばを借りれば、「死亡理由が立派に生存理由になるのだ」。そのために命をかけてもよい理由こそ、その人が生きる目的である。それでは、家族は?仕事は?学問は?恋愛は?将来の進路は?こう考えてゆくと、すべての人にとって共通のテーマ「人生の幸福とは何か」という問題に行きつくのである。

幸福は学びうるか

 人の「幸福」は学んだり教えたりえきるものだろうか。多くの人は、それは感じるものではないか、というだろう。できるとすればどのように? できないなら何が問題か。

 そこで、哲学は人の「幸福」について今までどう語っているだろうか。まずは、おなじみのギリシアの哲学で、ソクラテス、プラトン、アリストテレスのアカデメイア派。ソクラテス(前470 -399)は、人の生きがいは「ただ生きることでなく、善く生きること」に求められるとし、そのことの大切さを自分の死を以って証明した。ここで私はカミュが「死亡理由が立派に生存理由になるのだ」と云ったのを思い出す。プラトン(前427 -347)においては「善」は「イデア」(理想)にまで高められる。人間の魂が高められ心身の要求が満足された理想的境地を考えれば、それが幸福である。ここで「プラトニック」(プラトン的)ということばを思い出そう。よくわれわれは「プラトニック」を肉体的に対し精神的というように使うが、それは正確ではなく、「プラトニック」とは、理想として高められたとか、純化された、という意味である。ここで「理想」というのは語感としては「目的」に近く、プラトンの「さまざまなものを大切にしているように見えても、じつは、そのときほんとうに大切にしているものは他の何かであって」(『リュシス』)という言い方をかりると、この「他の何か」が幸福に当たる。プラトンの弟子アリストテレス(前384-22 )になると、「幸福」がすべて人間の行いがそのために、あるいはそれに向けてなされる最高(というよりは最終、終局)の善ときちんと定義され、さまざまにその幸福の根源が整理されているのは、幸福について考える後世の人々にとってはありがたい。

 しかしながら、幸福の中心は幸福感覚であり「哲学以前」ではないだろうか。「哲学」も「学」だが、人の「幸福」を哲学でとらえきれるものだろうか。幸福につきどれだけ深く考えたところで、理解は進むが(それはいいことであるが)、「幸福」になれるわけではない。ギリシアの哲学にしても、幸福についてほんとうにその深みをつかんでいるとはいえない。わたしに云わせれば、何といってもギリシアの哲学に感じる最大の問題は、「他人」「他者」(私以外の人)がいないこと。つまり、それぞれの「私」については、深くよく語られているが、「私A」と「私B」の「関係」については、ほとんど何の関心も寄せられていない点は、人の幸福については相当気になる。現代風にいえば、人と人との「触れあい」のことといえようか。ものを根源から考えるのが哲学であるのに、その哲学の目がここに届かなかったのはなぜかと考えてみると、うまくいえないが、これと根底で関係ありそうなこととして浮かんでくるのは、現在とは異なった奴隷制社会であったことであろう。「私」と私の奴隷は、生れながらにして命令し命令される関係である。私は彼(彼女)を売っても、生かしても殺してもよい。「君は奴隷に生まれてきたのだからね」とか「奴隷であることは君の運命なのだから」で通ってしまう社会は、いまとは相当に異なる想像もできないものだと思えてしまう。

 もう一つ、ソクラテスは「ただ生きるのでなく、善く生きよ」という。これは感動的であり宗教的福音の芳香さえただよっている。しかし、宗教とは異なるのは、救い(救済)を伝えてない点。つまり善く生きられない人はどうするのだろうか。いいかえれば、「先生、凡人はどうすればいいのでしょう?」。無視されるのか、放り出されるのか、亡き者にされてしまうのか、凡人は生きる資格はないなどというわけにはいかない。ではどうするのか。もっとも、ソクラテスを批判する資格は今日のわれわれにはなく、これについては、哲学の旧く新しい課題として再挑戦が待っているのだろう。これに答えられないと、哲学に対する信頼は大きく揺らぐことになるだろう。

 アリストテレスをはじまりとする幸福論は、その後に(ヘレニズムの時代といわれる)、エピクロス派、ストア派の幸福論を生んだ。これらはいま読んでも、われわれの心に安らぎと自省を与えてくれる。たとえば、こんなに寿命が伸びている今日でも「人生は短い」といわれるが、しかし、セネカもいうように、「われわれは短い時間をもっているのではなく、実はその多くを浪費しているのである。人生は十分に長く、その全体が有効に費(ついや)されるならば、最も偉大なことをも完成できるほど豊富に与えられている」。まことに至言である。ただ、ここでは幸福は個人の内心に限られていて、その意味では自己中心的である(利己主義と混同しないこと)。とはいえ、これらの幸福論(ことにエピクロスの快楽主義)は、近代に入って「功利主義」を生みだし、さまざまなよき社会のモデルを与え、たとえば、今日では人は幸福を求めるのみならずそれを求める「権利」もある、ということはあたりまえになっている。エピクロス派、ストア派の幸福論の影響は今でも大きいのである。

「国家」と「社会」のクローズ・アップ

 数百年前のヨーロッパ近代の入口(16世紀後半から17世紀にあたり、日本では江戸時代の始めと同時代)では、「国家」の成立とともに、人(個人)に対する「国家」や「社会」の暴力がクローズ・アップされ、国家や社会は悪事ばかり働いているとの批判がだんだんと高まってきた。フランス革命の基の理念を作った思想家・文学者ルソー(1712−1778)は、国家や社会は要らない、「自然(の)状態」でこそ人は本来の人であるが、

 しかしおそらくいっそう力強い学問、文学、芸術は、人々がつながれている鉄鎖の上に花飾りをひろげ、彼らがそのためにこそ生まれたと思われるあの根源的自由の感情を押し殺し、彼らにその奴隷状態を好ませ、彼らをもって文明国民と称されるものをつくりあげる『学問・芸術論』

として、人間的な基本次元から痛烈に現社会を批判した。よって、人間の教育をまずゼロから考えなおすべきである。『社会契約論』とならんでよく知られる『エミール』も

 われわれは自分の知識によって幸福になりうる以上に、自分の無知によって幸福になることだろう『エミール』

 最も普遍的に人間を構成しているものから研究するとよい『同』

と述べているが、その影響力には非常に大きいものがあり、ルソーは現体制をゆるがす危険思想家と見なされるようになった。実際、まもなく起こるフランス革命の指導者の一人ロベスピエール(1758-1794)はルソーの強い影響下にあったくらいである。やはりルソーの影響をうけたイタリアのベッカリーア(1738−1794)も、『犯罪と刑罰』で、最近、人の幸福に対する最大の脅威は国家、ことににその残虐な刑罰であり、あきらかに理屈に反していると批判した。もともと刑罰権は国家の存立の基礎的必要条件であり、刑罰権のない国家はなくそれは国家の証でもある。ただ、それは一般的な話で、刑罰の濫用と残虐な刑罰は人類の幸福の敵である。わが国にも残酷な刑罰はあったが、ヨーロッパでもそれはひどいもので、多くの心ある者の良心を揺さぶったことは想像に難くない。今日でも、ヨーロッパには刑罰博物館があり、そこを訪れる人はあまりの凄惨さに胸を痛めて出てくるくらいである。

 ベッカリーアを受けてイギリスの哲学者ベンサム(1748−1832)は、『道徳および立法の諸原理序説』で司法改革を提唱、その基礎として国民の幸福は「最大多数の最大幸福」(これは、ベンサムのオリジナルではない)でなくてはならず、国家の立法政策はこれに基づいて改革されねばならないとし、当時としては相当思い切った改革案を提案した。この「最大多数の最大幸福」の原理は哲学的急進主義と呼ばれたが、それでもフランスで進行していたフランス革命とりわけジャコバン党独裁の恐怖政治とは対照的で、議会制に基づくだけ穏健であった。しかし、とにもかくにも、このフランス革命と相まって、人類は歴史上はじめて人民の幸福のための国家の良き政策という考え方を打ち出すことになったが、これを広く「功利主義」という。

 もともと「功利主義」の「功利」は「効用」ともいい、英語では「ユーティリティー」つまり「役立つこと」を意味するが、人々の幸福にいかに役立つかに価値の中心をおく考え方が正確な意味での「功利主義」である。「最大多数の最大幸福」はその合い言葉の一つである。その根拠として、ベンサムが『道徳および立法の諸原理序説』第1章第1行目で

自然は人類を苦痛と幸福という、二つの主権者の支配のもとにおいてきた

と言っているのは有名だが、この考えには以前に思い当たるふしがある。エピクロスの快楽主義である。つまり、功利主義は千数百年前の幸福の教え(エピクロス主義とストア主義)を近代において実行しようというももくろみであると考えられよう。もっとも功利主義は幅広い考え方でいろいろなバリエーションがある。ベンサムの後、哲学者経済学者ジョン・スチュアート・ミル(1806-1873)は、説教臭いが有名なことば

満足した豚よりも不満足なソクラテスの方が幸福である『功利主義論』

とのべて、幸福は比較しうること(ただし、幸福の比較は今日では否定的に考えられている)、人間には尊厳があることを言い表しているが、全体としてミルの功利主義は倫理的色彩が強い点が特色である。また、人間の尊厳は人生を自らの考えでを選択できるところにある(『自由論』)とするのはいいとしても、中国伝統社会の重苦しさを多数の横暴の例にとるなど、説得力を欠く折衷が目立つところは賛否の分かれるところであう。

ドラクロア<<7月28日(民衆を率いる自由の女神)>>
1833年 パリ、ルーブル美術館

 人類の幸福という次元からみれば、フランス革命(広く「市民革命」といわれる)の成果は歴史的に非常に大きかったが、その方法は急進的暴力的であったため反動も大きく、革命の主導権は保守勢力の手に落ちざるをえなかった。革命後の社会の混乱と人々の英雄待望の心理は、結局はナポレオンというカリスマの出現と独裁に道を開けることとなった。このような状況がその後もうち続くなかで、社会の矛盾、国家の悪しき政策によって、堕(お)ちて行く人々の数は止るところを知らなかった。マルクス(1818-1883)らの社会主義思想が本格的に生れてきたのもこの頃で、「共産主義のマニフェスト」(いわゆる『共産党宣言』)は1848年のことである。また、これとは別の流れではあるが、市民革命が挫折し人々が人間の自由や幸福のあり方に対して大きな幻滅を味わうなかで、人間のあり方に対する見方考え方を根本的に見直そうという思想的な機運も生まれてきた。これがキェルケゴール(1613-1856)の「実存主義」(実存=人間の自己としてのあり方)である。この考え方は最初はキリスト教の弁証論であったが、20世紀に入ってハイデガー(1899-1976)、サルトル(1905-1980)の実存主義の哲学を生むことになるが、話がやや難しくなるのでここではこれ以上ふれないこととしよう。

 「いやいや、その燭台は盗まれたのではなく、彼にあげたのです」こう言ってミリエル司教はジャン・バルジャンを助ける。司教の人類愛に赦され改心したジャンは人のために働き人々の信望を得て名市長にまで上り、その社会悪と闘う姿は世で尊敬を集める。最近も映画になり、劇にもなってよく知られるビクトル・ユーゴー(1802−1885)の永遠の名作『レ・ミゼラブル』のテーマだが、やはり、人の幸福と不幸をリアルに描き出しすべての人に感動を与える点は、文学者や作家が他の追随を許さないところである。私は9歳の頃、当時は『ああ無情』とムズカシク訳された少年少女文学全集の一冊をクリスマスの(サンタクロースの!)プレゼントとして贈られ、子供ながらに心に深く刻まれるものがあった。「なさけぶかい」ということばを両親から教えられたのもこのときである。

 このユーゴーはマルクスと同時代人で、マルクスによる当時の市民社会(ブルジョア社会)の秀逸な分析『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』にも触れられて登場する。もっとも、ここではユーゴーは高い評価にはなっていない。にもかかわらず、文学者は人間社会の状況分析のリアリティではやはりプロである。こういうと同僚には悪いが、社会科学者はいわば社会の病理解剖をする専門家であり、社会科学の分析は科学として正確で緻密ではあるが、どこか血が通っていない感も否定しきれない。それに対して文学者はいわばカウンセラーとして人の心に触れる。社会科学者は、勝手にカウンセリングしてもらっても病状はよくならない、正確な病状分析がまず必要というだろうが、それでも『レ・ミゼラブル』はフィクションとはいえ社会分析としてのリアリティには社会科学者も脱帽ではないだろうか。

トルストイに見る現代人の不幸論

人間の幸福と不幸について、次の一文以上に古今東西によく知られたものはそうない。

「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」(トルストイ、1817−1875)。

 作家のよく知られた大作『アンナ・カレーニナ』の最初の書き出しである。もっとも、これは作家のはじめの構想にはなく、もともとは次に続く「オブロンスキー家では何もかもめちゃくちゃだった」から小説はスタートするはずであったという。もしそうだったら、NHKの連続ドラマかアメリカのソープ・オペラふうの家庭小説になっていただろうか。実際のところ、『アンナ・カレーニナ』も、見方によっては、美貌の人妻の不貞と転落、そして鉄道自殺という破局をむかえるまでを長々と描いた小説にすぎないとすることもできないわけではない。

 ただ、私は人の幸福や不幸を考えてみると、そうは思いたくはないのである。ヒロインのカレーニナの夫はいったいどんな人だったかといえば、今日われわれの周囲にじつによく見るタイプなのである。彼の名をカレーニンという。(ロシアでは夫の名に「ア」aや「アヤ」ayaをつけて○○夫人とする。たとえば、チャイコフスキー夫人はチャイコフスカヤとするなど)。カレーニンは成功した高級官吏であった。格別に彼が冷たい性格であったわけではない。むしろ、謹厳、実直、誠実であって、芸術にも理解のある人であった。ただ、彼はたかだか謹厳、たかだか実直、たかだか誠実であったにすぎない。彼には情熱や心からの愛は感ぜられず、誠実というより、いわば不誠実な誠実・冷淡な誠実がどっかり腰をすえていた。彼は妻アンナを愛していると自分では思っていた。そしてまた、アンナ自身、彼を立派な人だとは思っていた。ここは長く引用した方が実感が伝わるであろう。

−わしはこういうことを言うつもりなのだが、−と彼は冷静に、落ちついて言葉をつづけた、−お前にもとくと聞いてもらいたい。嫉妬心というものは恥ずべく、卑しむべき感情だとわしが認めていることはお前も知ってのとおりで、わしは、決してそんな感情に左右されることは自分にはゆるさないつもりだ。だが、世間には、礼儀というある一定のおきてがあって、これを踏み越えれば、罰を受けないではすまない。今夜、わしは自分で気づいたわけではないが、社交界の連中に与えた印象から察して、お前の態度ふるまいは、あまり望ましいものではなかったようだ。

−お前の感情のこまかい点にまで残らず立ち入るなどという権利はわしにはないし、だいたい、そんなことは無益なばかりか、有害だとさえ考えているよ、−とアレクセイ〔カレーニンのこと〕は話しはじめた。−心の中をほじくっていると、よく、そっとしておけばいいようなものを掘りおこしてしまうことがあるものだ。お前の感情は−お前の良心の間題だ。だが、お前の義務をはっきり示してやることは、お前に対しても、わし自身に対しても、さらに神に対しても、わしとしてはしなければならないことなのだ。われわれの生活は、人々の手によってではなく、神によって結ばれているんだからね。この関係を破り得るものは犯罪しかない。そして、この種の犯罪は必ず重い罰を伴うものなのだ。

−アンナ、お願いだ、そんな言いかたはしないでおくれ、−とおとなしく彼は言った。−そりゃ、わしのまちがいということもあるかもしれないが、こんなことを言うのも、自分のためであると同時に、お前を思っての上だということは信じておくれ。わしはお前の良人であり、お前を愛しているのだから。

 高貴である。だがひどく冷たい。また他人行儀で妻に対する愛情はほとんど感じられない。嫉妬は人間としてみにくい感情である、ゆえに私には(彼には)関係がない、などと本気で言える人だったのである。

愛しているですって?このひとに愛することなんか出来るのだろうか?愛などというものがあるともし人から聞かされなかったら、このひとは決してこんな言葉を使いはしなかったでしょうよ。愛がどんなものか、このひとには分ってはいないのだもの。(アンナ)

 では、アンナの内縁の良人ウロンスキーの方はどんな人だったか。彼が正しい人であることはアンナもよく承知していた。ただ、彼女は彼に正しくあってほしいと願ったわけではない。そうでなく、彼女は愛され満たされたかったのだ。どのように?ウロンスキーにはどう頭で考えてもそれがわからなかったし、どうすればよいのかも思いつかなかった。アンナは非常に感受性の鋭い女性であった。彼女の行動は行動としては愚かだったが、しかし、一つの真実を指そうとしていた。つまり、トルストイは、カレーニンやウロンスキーの上に、実は現代人の中にある人間性に対する鈍感さを見たのである。

 ここで、話題はややずれるが、大学時代の私の第二外国語はロシア語だった(よく使う外国語は社会に出てから独習すればよい、と思ったのである)。ところで、面白いことに、ロシア語に「カレーニン」Kaleninという語が固有名詞としても普通名詞としてもないのだ。トルストイの純朴さと正義感の強さに共感と尊敬をもっていた作家ロマン・ローランの『トルストイの生涯』によれば、往年のトルストイは夫人からたしなめられるくらいにギリシア語学習に熱中していたが(ロシア語の起源はギリシア語)、実は「カレーニン」はギリシアの古典中の古典『ホメロス』にある「カレノン」(頭)からとった造語なのである。それでわかった。トルストイは「カレーニン」に、頭だけで考える人々がいかに人間の真実から遠いかをこめたのである。

他人(ひと)の幸福を知って、自分は幸福か不幸か

ロセッティ<<プロセルピーナ >>1877年 ロンドン、私蔵
注 : ロンドン、テート美術館でも鑑賞できる。

 人の心には緑色の目をした怪物が棲(す)むという。英語では「グリーン・アイド・モンスター」(green-eyed-monster)。これが暴れ出すと心はそれにのみこまれズタズタになってしまう。抑えこむのは容易ではない。何だろう。答えは「嫉妬(しっと)」「やきもち」「ジェラシー」。他人(ひと)の幸福に心が平静でなくそれを憎む気持ち、あるいは愛する者の気持ちが他の者へ向くことに対して心が乱される気持ち。「グリーン・アイ」といえば嫉妬のこと。この語源はシェークスピアの『オセロ』で、ヴェニスの名将オセロは、自分の美貌の妻が部下とあやしいとの讒(ざん)言を信じて嫉妬に狂い殺してしまう。しかし讒言はウソとわかり、オセロも自殺する。「オセロ」とはそれ以来、嫉妬、やきもちの代名詞になっている。そのほか、『ヴェニスの商人』にも「緑色の目」は登場する。

 人の幸福の敵はその心中にある。人がたった2人でさえ、そこにはもう2人の幸福を妨げる要素がある。まさに社会や国家以前、人類の始まりとともにある。嫉妬に狂うと心は平静でなく、平静であろうとするもう一つの心と大格闘になる。心臓の鼓動は高まり顔は青ざめる。英語大辞典には「グリーン」とは「青白い」と訳すと書いてある。他人(ひと)の幸福をどう評価するかという問いは、「幸福論」から不当に排除され、幸福論はもっぱら自らの幸福だけを扱うものであってきた。しかし、人の心の奥にあるもう一人の自分が闘いをいどむのであれば無視できるどころの話ではなく、それこそ大問題である。古今東西の哲学者が人間の嫉妬心に正当な扱いをしなかったのはうかつというほかない。

 すこし理屈っぽくいおう。Aさんの幸福の判断をAさんがすることはきわめて順当だが、Aさんの幸福をBさんがどうやってどのように判断するかとなると、Aさんの幸福を直接にBさんが感じているわけではないので評価は相当にむずかしい。意外なことだが、この問題を正面からとり上げた数少ない一人は、あの『国富論』(あるいは『諸国民の富』)の経済学者アダム・スミスであった。スミスは最初の経済学者とされているから、スミスが学者になったとき、彼が経済学の専門でなかったことは当然である。専門は「モラル・フィロソフィ」、つまり道徳哲学。人は他人に対してどれだけその人(他人)の立場で考えることができるか、どれだけ心を同じにできるか、これがテーマであった。上の言い方では、BさんがBとしての気持ちでなく、Aさんの気持ちをもつ。こんなことが可能であろうか、無私の神にのみ可能ではないか。それはとにかくも、これを「シンパシー」(sympathy)という。これはスミスのいいたいことからは「同感」「共感」と訳され、「同情」とは訳されない。この議論は『道徳感情論』という、スミスの玄人向けの本に縷縷(るる)書きしたためてあるが、つまり人が自分の幸福だけを考えたら「社会」は成り立たないだろうとスミスは当初心配したのである。

 後年、スミスは、(経済学で云う)「市場」のことなら心配ご無用、人とは自分の利益をまず考えて行動するものと想定しても格別に問題はない、と考えるにいたった。これを「経済人(ホモ・エコノミクス)」の仮定ということは知っている人も多いだろう。スミスのメジャーの著書『諸国民の富』の「分業について」では、「われわれが食事をとれるのも、肉屋や酒屋やパン屋の博愛心によるのでなくて、自分自身の利益に対するかれらの関心によるのである」と述べているが、それではたしてうまく行くのかといえば、そこは「神の見えない手」が働いて、市場という社会は、バランスしうまく行くとスミスはいう。じっさい、「個人の私利をめざす投資が、見えざる手に導かれて、社会の利益を促進する。………見えざる手に導かれて、みずからは意図もしていなかった一目的を促進することになる。」今日「市場メカニズム」といわれるものはまさにこれに言い尽くされる。これによって、スミスといえば、『諸国民の富』、そして「市場メカニズム」の元祖という公式が出来上がった。『道徳感情論』は相対的にマイナーになり、他人(ひと)の幸福という重要問題に関する議論も関心を引かなくなってしまった。ここは意外と大きな歴史の曲がり角だったかもしれない。

 私の仮説であるが、現代では他人(ひと)の幸福とか嫉妬はわれわれのなかでは思いのほか無視できない存在である。たとえば、政治学者はあまり考慮しないようだが、国政選挙では政策だけでなく候補者たちへの嫉妬で投票行動が左右されているのではないか、と思えるふしがある。それはとにかくも、ひとつ確かなことはもし嫉妬が心のふつうの働きだとすると、すべての人が幸福になるという理想状態は理屈の上ではありえないことである。ある人の幸福が必ずや他の人の心をかき乱すであろうから。ショーペンハウアーが『幸福について』でいうごとく、嫉妬はなかなか打ち勝ち難い、なぜなら相手の持物でなく、相手その人に対するものだから。けれども、嫉妬を野放しにするのでなく、それを心にとどめ、かつ美しいものに対するあこがれや愛を優しさで包むという心のバランスは重要だ。

 私の専門は統計学や数学である。親が小学生の私に代数学と英語の家庭教師をつけたからかも知れない。たしかに数学のとぎすまされた簡潔な真理は永遠のものでありすばらしい。だが、昔から習いたかったのはむしろ音楽や絵の方である。美しいもの、すばらしいもの、感動的なものに対する人の愛、あこがれ、場合によっては独占欲というものは、心の中にたとえ道徳に反してでも、存在しようとする。こういう「生」の世界は芸術の世界を作る。道徳的に正しく生きる「生」も人間の「生」なら、これに対する反道徳的な反「生」もそれ自体「生」である。こういったのはニーチェ(1844-1900)である。嫉妬はみにくく反道徳的かも知れないが、それは美しい愛の反映像でもある。

 イタリア系イギリスの画家ガブリエル・ロセッティ(1828−1882)の「プロセルピナ」という妖艶な絵は以前から愛好家が多く、文学者や作家が多数批評を書いている。わが国でも蒲原有明(文学者)の詳しい批評がある。「プロセルピナ」はギリシア神話中の女性の名で、彼女は不幸な結婚に閉じこめられたが、約束に反して禁断の実を食べたためにそれから逃れることができない。「ざくろ」は閉ざされた結婚、左から下がる「蔦」(つた)は忘れられぬ思い、そして蔦の流線に乗るプロセルピナの緑(!)の衣、ロセッティが好んだといわれる衣のひだ。モデルの名はジェイン・モリス(Jane Morris)という。ロセッティの友人で有名な社会主義思想家でまた工芸家、それで商会を設立したウィリアム・モリス(1834−1896)の妻である。モリスの結婚生活は不幸であったため、画家の心は自然にこの不幸な女性に向かうが、しかし彼女は他人の妻である。不遇な結婚に閉ざされた女性の心を象徴的にイメージさせるこの絵ほど、愛と嫉妬、そして画家の優しさを表すものはない。

幸福はファンタジー

 ショーペンハウアーは幸福についてるる述べたあとそれは、心の迷いだという。だからこそ救いが必要であるともいう。私にとっては「幸福」は救いのファンタジーである。サン・テグジュペリの童話『星の王子さま』には、やがて大人になる子供にたいへん大切なメッセージがある。「こころで見なければ、ものごとはよく見えない。かんじんなことは目に見えない」。目には見えないが存在する。だから「ファンタジー」といっても空想ではない。サン・テグジュペリは飛行士であり、空を飛びながら地上の「救い」を想う。その意味でも空想ではない。同じく飛行士であるリチャード・バックの『かもめのジョナサン』もまさしく人の「救い」と人への愛を想い飛び続ける。ここには霊的(スピリチュアル)な優しささえこめられている。訳者五木寛之の解説によれば、訳者自身この「スピリチュアル」にどうしてもついていけないようだが、作品中にくりかえし述べられているように『かもめのジョナサン』は「神」ではない。逆にいうと、それくらいそこここに宗教的信仰が感じられるのである。

 幸福のファンタジーとして世界中に知られ決して忘れられないのは、ベルギーの詩人、劇作家、哲学者メーテルリンク(Maeterlink 1862-1948)の『青い鳥』、あのチルチル、ミチルという男の子と女の子を主人公とするクリスマスの夜のファンタジーである。「青い鳥」とは「幸福」ので象徴であり、メーテルリンクのメッセージは、青い鳥はあなたのすぐそばにいるというものである。幸福は「いつだってあなたのまわりにいる」。だから、チルチルが「会った覚えがない」というと、「幸福たち」からゲラゲラ笑われる。まず家の中から幸福を探すと、意外なことにわれわれのまわりには多くの「幸福たち」がいて、十人も二十人も登場して来る。「大きな喜び」(主な喜び?)として「正義である喜び」「善良である喜び」「ものを考える喜び」「仕事を仕上げる喜び」「もののわかる喜び」、最後に「母の愛」が登場する。たしかに、母の愛はまさに「哲学以前」である。そして劇最後の登場のトリは待たれるもの(救世主=メシア)としての「光」である。

 面白いのはおいしいものを食べる「幸福」である。一瞬「?」という気がする。テレビのコマーシャルで「私、しあわせ!」という「飽食」の時代だから、食べることの幸福もある程度訳がある、と思えてしまう。心の広い哲学者メーテルリンクが「『太りかえった幸福たち』、この人々は品が悪いが悪い人ではない」というところに、幸福を求める者の心の優しさがある。人が幸福を求めるなら、やはり幸福にあれやこれやの差をつけず(先に述べたジョン・スチュアート・ミルを思わせる)、すべてを優しく包み受け入れることが必要である。幸福を求めること自体が周囲に不幸をもたらしてはいけない。幸福を求めること自体、幸福と心の温かさと優しさをもたらすものだからである。

相関社会プログラム旧稿(三)

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