ロング・ターム・キャピタル・マネジメント破綻

1998年8月

M.ショールズ、R.マートンも主役

数学者・数理統計学者も社会的責任から無縁ではない


世界最大級の金融破綻

 去る 1998 年の「ロング・ターム・キャピタル・マネジメント」(Long Term Capital Management)の破綻は国際金融の歴史の中でも前例を見出しがたい世界最大級の金融破綻事件であり、扱いを誤れば世界経済を破滅の底にたたき込みかねない、いわばこの方面における「キューバ危機」であった。さいわい連邦準備制度理事会のグリーンスパン議長の大英断によって何千億ドルもの資金援助が関連金融機関に対して行われ、世界経済はカタストロフの悲劇を見ずにすんだ。議長の当時の救済融資は正規の手続きを全うしていないといわれているが、かえって歴史に名を残す名議長といわれた。これも事態が切迫し急を告げていたことのあらわれであろう。

ノーベル賞受賞者が関与

 LTCM の破綻が学会の関心を引くとすれば、LTCM の「チーム」の中に 2 人のノーベル賞受賞者がいたことであろう。一人はコンピュータ・サイエンス出身の金融経済学者でスタンフォード大学教授マイロン・ショールズ(Myron Scholes)、もう一人は数学出身の経済学者でハーバード大学教授ロバート・マートン(Robret Merton)である。2 人は 1997 年、フィッシャー・ブラック(Fischer Black)と共同で導出に成功したいわゆる「ブラック・ショールズの公式」(Black-Scholes formula)で知られるデリバティブの価格付け理論によりノーベル経済学賞を受けている。事態に困惑したノーベル賞委員会のなかには、2 人に対する受賞の撤回、ノーベル経済学賞自体の廃止の声さえ上がった。よく知られるとおり、ノーベル経済学賞は賞の創設時にはなく、現在も選考手続は外部委託されており、ノーベル賞委員会からみればこの事件は賞の権威を失墜させるものと考えられたのである。

数学的真理は動かないが・・・

 事件や学者の毀誉褒貶(きよほうへん)のなかでも、これら理論内容の数学的真理自体がゆらぐことがないのはいうまでもない。ただ、2 つの大きな問題は残るだろう。1 つは学者の倫理問題がある。もっとも「チーム」のメンバーには、他にハガニ(Victor Hagani)、ヒリブラント(Larry Hilibrand)など多くの数学者(*)も入っており、ショールズ、マートンだけが責任を問われるのではないことは公平の点から云っておこう。もう一つは、数学的真理の社会的応用にかかわる、適切な内容関連性(レリバンシー)である。つまり、理論がそのまま現実でないのはもちろんであるとしても、「現実適用のための若干の手直しによって現実適用が十分可能」になる程度のものなのか、あるいは「数学的に真理だが(その価値はある)、理論上の仮定は社会的にはとうてい満たされず、社会的・歴史的前提にも合致しない、要するに社会とは別物である」のか。確率統計にかかわる人間の一人として、関心を持たざるをえない問題なので、少々論じておこう。

* 2 人はそれぞれ修士(London school of Ecnomics)、博士(MIT)を取得し、もっぱら数学を武器にトレーディングをおこなういわゆる「クォンツ」Quants であったので、大学で数学を研究・教育する「数学者」とはことなる。学問分野分類による職業としては Mathematician といっても誤りではないであろう。

LTCMの沿革

 まず、LTCM の概要は、出回っている出版物(*)および専門家の解説によれば次のようなものであろう。LTCM は、定量的アプローチを債券取引(アービトラージ=価格差の裁定取引)に持ち込んだ、ソロモン・ブラザーズ(Salomon Brothers)のジョン・メリウェザー(John Meriwether)によって創設され、1993 年から 1998 年 9 月28 日まであらゆる点で「史上最高」揃いのファンドであった。史上最高の運用資金調達額(ピーク時には、銀行借入などによって 1300 億ドル=約十数兆円の資金(**)を動かしたといわれる)、「ドリームチーム」と呼ばれた社員構成、世界一流の顧客・人脈(各国中央銀行・民間金融機関)、史上最高利益そして史上最高の損失額である。LTCM の主要取引は、一貫して流動性が高い債券間のスプレッド(価格差)のボラティリティ(分散=不確実性)が低い点に着目した「あらゆる債券」の「相対価値取引」で、レバレッジ(取引金額÷証拠金)は 20 〜 30 倍、時にはそれ以上かけていた。その後 M&A(1995)、金利スワップ(1996)、私募債・モーゲージ担保証券・株式(1997)と対象を広げ、より流動性が低く、より不確実性の高い市場へと参入する。その結果、LTCM は「破綻しやすい」構造を形成することになったのである。

* Nicholas Dunbar(2000) 'Inventing money' John Wiley and Sons.
 Roger Lowenstein(2000) 'When genius failed ' Random House.
 David Rupert(2004) 'Staistics and Finance', Springer.
最初の 2 冊は一般向けで和訳もあり、最後の 1 冊はこの分野では小数であるファイナンス統計分析ですぐれた解説書で、LTCM につき 1 ページほどふれている。

** 上記の文献などから、支配しリスクにさらした額(いわゆるエクスポージュア Exposure)と推定される。

破綻の原因

 LTCM 破綻の要因はいくつか考えられるが、一般的な解説、関係者の話を総合すると、a. 大数の法則の市場適用、b. 過度の信用供与、c. デリバティブ取引の監視体制の問題がまずはあげられよう。a の大数の法則の市場適用については、ブラック・ショールズのモデルに連続時間を持ち込んだマイロン・ショールズのファイナンス理論が基本である。その前提は、市場価格は対数正規分布にしたがう(正確には対数正規ブラウン運動=幾何ブラウン運動となる)というものである。これは確率論としては中心極限定理(業界ではこれを「大数の法則」とよぶ通俗ミスが流布している)である。統計学者には正規性の検定などこれを検証するという帰納的態度があるが、自然科学者や数学者の間では、この正規分布はほとんど神話のような法則である。正規分布の元では日常から著しく外れた数値は「ほとんど火星人の到来のようなものである」。しかしながらそれは現実に起こったのだが。かってフランク・ナイト(Frank Knight, 1921)が「リスク」と「不確実性」を分け、リスクは想定された事象で確率がわかるもの(したがって保険が可能)、それに対し「不確実性」は想定範囲にも入っておらずその確率は測れない、というよりはそもそも「確率」自体成立しない(いわば、本物の不確実性)と述べた古典法則が思い出される。その意味で、ケインズが賢くも確率論の古典Treatise on Probability(1927)で展開した確率思想、つまり数値としての確率概念は不可能で、確率概念は半順序としてのみ可能としたことを思い出す。社会的事態に確率を扱うには重要な見地である。

歴史に無関心

 ナイトにせよ、ケインズにせよ賢人の知恵のようなものだが、今日の確率論や意思決定のテキストからはこの「リスク」と「不確実性」の分別は消えている。Luce, Raiffa の Games and Decisions(1957)を最後に以降は見ていない。また、出版後 80 年も経つのにケインズの Treatise on Probability はケインズ全集の中でも邦訳されていない。世界的に見ても、Treatise on Probability に対する引用や言及は少ない。だから、LTCM の人々は、1929 年の大恐慌から学ぶことがなく、ソ連の崩壊のような想定外の事件は計算に入れてなかったのである。数理科学者が先輩の賢人の知恵や歴史に対しいま少し謙虚であったなら、モデルは社会的によりよく適合したであろうに。

「予言の自己成就」

 ロバート・K・マートンの父は有名な社会学者ロバート・C・マートンで、有名な「予言の自己成就」Self-fulfilling of Prophecy(1928)の考え方で知られる。社会には「○○となるだろう」という誤った言明が真に○○を引き起こすメカニズムがあるという。マートンの例は人種差別と銀行取り付け−「倒産する」という風評だけで倒産を引き起こす−であった。LTCM 破綻が「予言の自己成就」であったかどうかは正確には定かでないが、メカニズムは共通だろう。マートン親子の間で、子が親に学ばなかったと同時に、LTCM の確率論のスマートな人々は、社会的にこれほど知られたことさえ、念頭に浮かばなかったのは残念である。ある経済学者は私に、「松原さん、LTCM 破綻はベイジアンだったら避けられた?」と尋ねたが、たしかに外部情報が人々の認識を変更するというベイジアン・モデルなら、少なくともLTCMの「チーム」の人々を謙虚にしたと思う。もっとも身近な教訓としては、確率・統計分野の研究者はもっと学際的態度を身につけるべきであろう。

学者のモラルのレベル

 ここではのべないが、学者の社会関与に多大な金銭的利益が関係するときの倫理の問題がある。医(薬)学者が医薬を発明したとき、工学者が極めて高価値なデバイスを開発したとき、確率・統計の公式が多大な経済的価値を生み出すときなど、倫理はいかにあるべきか。学者の金銭上のモラルは、平均人以下ではないにせよ、以上でもないであろう。利用の許可ならとにかく、LTCM のように自ら会社を興しての利用ならば社会的責任は免れないというところがおおかたの線であろうか。上記(b. 過度の信用供与)の原因のように、LTCM が銀行から過度の与信を受けたとき、学者の社会的名声が多大な効を奏したという。(日本統計学会巻頭随筆 2004.4 月号掲載予定)

<続・制作中>


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