『入門確率過程』まえがき


確率の学び

 われわれは「確率論」というと何をイメージするだろうか ―

「かけ」「さいころ」「確率の定義」「期待値」「分散」「大数の法則」「中心極度定理」「正規分布」「χ2 分布」・・・

 実際問題から始まっていたり、実際の計算例があったり、また、やや固いが正規分布のようにどこかで聞いた言葉があったり、大数の法則のように統計学と関連があったり、とにかく勉強すれば面白く理解できそうな感じがする。「確率論」は歴史的にも国際的な流れとしても「確率論算論」であることからすると、これはむしろ当然のことである。

 ところがこの確率論が「確率過程」の基礎だったりすると ―

「完全加法族」「σ代数」「確率測度」「概収束」「マルコフ過程」「チャップマン‐コルモゴロフの等式」「拡散方程式」「マルチンゲール」・・・・

 確率過程は確率論の1つの分野であるのに、読者には応用のイメージはわかず、かえって純粋数学の一分野である解析学(微積分の発展した分野)に取り込まれている。「確率過程」は応用範囲は広いにもかかわらず、難解でそれに入るシキイは高い。これがいままでのイメージである。確率過程を学ぶには「涙」が必要であった。

本書のめざすところ

 長い教育の体験から、現在大学で広く行われている統計学の勉強からその知識と能力を生かして自然に入っていける確率過程の入門基礎、社会人ですでに統計学の基礎を学んでいる方々が、「涙」なく確率過程に進めるいいテキストが望まれている、と考えるようになった。

 多くの人々にとって確率過程の「学び」をわかりやすく面白くためになる ―― 著者がここ30年求めてきた「3モットー」―― ものにしたい、これが本書が生まれたいきさつである。これをいつか実現したいと最初に思ったのは、著者が確率論と統計学の研究と教育を始めた35年以上も前であった。

本書の特長

 そのためには実例、数値例を多くし、わかりやすい解説(ときにはやさしすぎるかもしれない)と基礎的な実用例を多く登場させ、細事はこの際さておき、骨太で自然体のわかりやすさを重くみた。実例には、経済の例を用いて社会人のニーズに答えようとした。第10章はファイナンス数理のトピックを入れたが、全体としては、本書は「確率過程」のスピリットの解説書であって、ファイナンス数理の説明自体を目的としたものではない。ただし、この分野でも本書の内容はエッセンシャル(必須)であり、本書の程度のことを知らなくては、理解の発展は望めないであろう。

 「ブラック‐ショールズの公式」は、今や学問的な流行語になった感じもあるが、これまでは格子モデル(コックス‐ルビンスタイン)、偏微分方程式からアプローチする説明が多く、確率過程としてはやや離れた技巧的な説明になっている。とくに、偏微分方程式に持込むのは、正直言って、教育上は無理であろう。本書では、ギルサノフの定理を用いて確率過程の中に位置づけた。読者の評価と批判を持つところである。

 なお、本書は確率過程の基礎としてのマルコフ過程、ポアソン過程、定常過程の一般論は入っていない。わが国にこの分野の良書は多いからである。もとより必要ないということではない。

本書の読み方・使い方

 本書のレベルは基礎統計のレベルとほぼ同じで、大学1、2年である。ところどころ、確率の展開が高度になっているが、それはどうしても必要である部分で、それでも論理を追えば飛躍なく理解できる。むずかしい数学解説は別読み物とした。第8章、第9章までは順当に読めるであろう。第10章は興味ない人は読む必要はない。しいていえば、本書のハイライトは、ランダム・ウォーク(第6章)とブラウン運動(第8章)、および伊藤積分(第9章)であり、そこまでの章は既知の方々は飛ばしてよい。最初の方の章はわかりやすいので、読む効率が上がるとして1学期間で終了できる。

 社会人の読者は、あまり細かい所にこだわらず、全体として理解していただき(わからない所は飛ばしてもよい)、再読で細かく読み込むという戦略がいいだろう。

確率論の発展のために

 ふつう「研究」は、したい研究を自由にやればよい、というよりはそうでなければできないものであり、ある意味でわがまま勝手が許される。ただ、全体としては、学問は仲間うちだけでなくすべての人々がアクセスできるものでなければ、衰退するであろう。研究者・教育者のこのことの認識が全くゼロであるなら、それはゲーム理論でいう「囚人のジレンマ」ゲームとなって、自らの首をしめるであろう。われわれのこの方面が発展するために、著者はあえて筆をとり、長年の義務を果たしたという思いがする。


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