イギリスの統計学者ウィリアム・ペティー(W. Petty, 1623-1687)がこの ”国政のそろばん勘定” を『政治算術』Political Arithmetick と呼んだのはそのものずばりで、ドイツでは『国勢学』 Staatskunde と呼ばれた。政治算術は統計学の元祖のようにいわれるが、内容としては一名「土地の大きさおよび価値・人民・建築物、農業・製造業・商業・漁業・工匠・海員・兵士、公収入・利子・租税・余剰利得・登記制度・銀行、人間の評価・海員および民兵の増加・港・位置・船舶・海上権力、等々に関する一論説」とのタイトルがついている。さらに「この論説は、各国一般について論じているが、大ブリテン国王陛下の諸領域およびその隣国たるオランダ、ジーランドおよびフランスについてはとくにくわしく論じている」と予告がつき、要するに「イギリス国力論」「オランダ学」「フランス学」等である。政治算術とは「統治に関連する諸事項について、数字をもって推理する術」(デヴィナント)だが、むしろ「クレムリン専門家」「中国専門家」「チャイナ・ウォッチ」など国際政治経済における国情専門家のはしりといえよう。
ペティーはたたき上げの波欄万丈の人であった。船員としてノルマンディー沖で難波して足を折りフランスの岸に泳ぎつきつき、そのままフランスを学んでから帰国して医者になり、近代政治学の草分けホッブスの弟子となる。後 3 回にわたって植民地アイルランドに長期滞在し、1 回目は軍医、測量家、2, 3 回目は自ら大土地所有者、植民事業家として、計 23 年間をかの地で過ごした。華々しく有能な人で、草創期の統計学者にはこのような異常才能の人が多い。もう一つの著作『アイルランドの政治的解剖,1691 年』も医者らしく分析は題の如く徹底して中へ中へと細かく切り分けて行く科学的精神にしたがっており、例えば、
そこには人民、すなわち、男子、女子および子供が 1,100,000
そこには世帯(families) 200,000
かまどが 250,000
すなわち
この人民のうち、イングランド人は 200,000
ローマ教徒 800,000
非ローマ教徒 300,000
スコツトランド人 100,000
アイルランド人 800,000
2,200,000
この世帯のうち
つくりつけの炉を1つもたないような世帯は 160,000
1つしか煙突をもたないような世帯は 24,000
2つ以上もっているような世帯は 16,000
かまどのうち
1つしかかまどがない住居は、まえに示したように 184,000
そして2つ以上の煙突をもっている住居は、平均して
各戸に4つあまりもっている、すなわち全部で 66,000
という風である。
外から見える――いちいち中へ入っては手間がかかる――「煙突」で数えるなどはさすが ”プロ” の「統計的センス」である。
アイルランドに対するイギリスの収奪は激しかったが、抵抗も激しく、ペティーは、反乱の諸結果の金銭的価値は
人民の損失によって 10,335,000
兵士自身の余剰利得の損失によって、 4,400,000
失われた余剰利得の損失によって、80(千)の兵士の分を控除して、全11年間
1人当たり10ポンドとすれば 6,000,000
土地の値の減損によって 11,000,000
家畜の(減損によって)
3,500,000
家屋の(減損によって) 2,000,000
計
37,255,000
としている。マイナスの価値は測定しがたいのが通常であるが、ペティーのアイデアや手際の良さはこの時代でも出色であり、とにかくよく調べている。