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 ウィルソンは、ラムズデンと 1983 年に出版した書物の中で当時を回顧し、そのことを認めつつも、逆の行きすぎがあってはならないとしている。つまり、科学上の議論をその政治的帰結によって判定する誤りをおかしてはならないというものである。社会生物学に対する批判は「ナチス科学」や「ルイセンコ生物学」のように、政治が科学に介入するものではないのか、つまり政治的な通念と一致しないものを科学上の根拠によってではなく政治イデオロギーによって退けることになっているのではないかというものである。社会生物学論争を比較的中立的な立場から扱ったブロイヤーは、ウィルソン自身は人種差別的な考えはあまりないとしており、ウィルソンをファシストと呼んだりするのは行きすぎであろう。社会生物学が悪用される可能性があるとしても、そうした可能性があることから、ただちに研究それ自体が批判されるべきかどうかというやっかいな問題がここにはある。それは「学問の自由」や「研究の自由」に対する侵害になりかねないからである。

出典:横山輝雄『生物学の歴史−進化論の形成と展開』放送大学教育振興会、1997。