ローマ帝国の意味

ローマは一日にして成らず

すべての道はローマに通ず

ローマは三たび世界をまとめた


ローマの偉大さは精神の力にあり

 ローマは三たび世界におきて【掟】を命じ、三たび諸民族を統一体に結合した。一度目は、ローマ国民がなおその活力の充実した状態にあったとき、国家の統一に結合し、二度目は、ローマ国民がすでに没落してしまったのちに、教会の統一に結合し、三度目は、ローマ法の継受の結果として、中世において、法の統一に結合した。第一回は、武力による外面的な強制で、ほかの二回は、精神の力で。

イェリング『ローマ法の精神』

ローマは単に広大な領域を支配しただけではない

 イェリング【ドイツの法学者】のこの名著の巻頭を飾るこのことばは、わが国でも、すでに多くの学者によって引用された。ローマ法は、ギリシャの哲学および芸術とキリスト教と共に、ヨーロッパの古代が現代にのこした三つの大きな精神的遺産といわれ、現代ヨーロッパ諸国の法の制度および理論は、いずれも、ローマ法という共通の地盤の上に築かれる。

ローマの興亡

 ローマは、紀元前 8 世紀の中葉に建国されたと伝えられ【ロムルス、レムスの建国伝説】、のち数世紀のあいだに、地中海を内海とする世界国となり、古代の諸民族とその文化を総合統一して栄え、紀元後 3 世紀の初葉からは老衰の期に入って、広い領土は東西に分かれて【395年】次第に相独立し、西帝国は 5 世紀後半に消滅した【476 年西ローマ帝国滅亡】のに対して、東帝国は、次第にバルカン半島を領土とする地方的国家【ビザンチン帝国】に変化しつつ 15 世紀中葉【1453 年コンスタンティノープル陥落、東ローマ帝国滅亡】まで存続した。

ローマ法の編さんの大作業

 その間に 6 世紀中葉に出た東の皇帝ユスチニアヌス(Iustinianus;在位527 - 565 年)は大立法事業を遂行し、その時までのローマの法の変遷進化に総決算を施し、これに決定的形体を与えて、ローマ法の歴史に一時期を画した。普通にローマ法とは、建国以来このユスチニアヌス帝の立法事業【ユスチニアヌス法典】までのローマで形成され変遷した法をいう。

ローマは軍事的に統一しただけではなく、諸民族をよく結合した

 古代諸民族の中で最も戦術にひいでたローマ人は、それによって未曽有の大帝国を建設したけれども、かれらの特長は、かようにそのすぐれた戦術によって盛んな征服欲を満足せしめた点にあるよりも、かくして征服した諸地方をよく組織的に統治した点にある。而も、かれらがよくその統治を行ないえた【パックス・ロマーナ Pax Romana;ローマの平和】のは、かれら自身がよく規律のある訓練に服すると共に、その規律を巧みに征服地の住民に適用したことによる。そうして、この規律は、個人相互間および個人とその属する社会全体との間の関係を規制するものであるとき、最も広い意味で法と呼ばれるものである。ローマ人は、実に多くの法を創造し、かつこれを組織だてることによって、よくその大をなすことをえたのである。

法の天才がローマを不朽のものとした

 ことに、ローマ全体が組織時代にあった紀元前後約 3 世紀の間に、多くの優秀な法学者は、常に現実に立脚する豊富な知識と驚くべき技巧とをもってめざましく活躍し、これによって、法は初めてよくその独自の存在をえ、法的思惟の方法や諸種の法上の概念は、初めてよく定立されることをえた。あたかもギリシャ人が哲学や芸術の世界における天才として高い使命を果たしたように【アリストテレスの哲学は万学の基礎であった】、ローマ人は、法の世界の天才であって、ローマ精神は法学に結集し法学者によって体現された。そうして、かれらの努力の成果は、ユスチニアヌス帝の大法典編集事業によって、永く後世に伝えられうる形体に結実した。

ローマ法は法の世界の共通語

 もとより、ローマ人は、かれら自身の生活を規律するために、かれらの法を作ったのである。けれども、作られた法自体は、その高い価値の故に、かれらを離れて一つの客観的精神としての存在を獲得し、かれらの国家が消滅したのちも、中世以降、ヨーロッパ諸国民は、これをもって自分のための法とし【ローマが滅びてもローマ法は滅びない】、ユスチニアヌス帝の法典をもって文書に示された摂理とする態度で、これを研究し解釈し、さらに発展せしめるに努め、これによって、ローマ法は、現代ヨーロッパの法の世界における共通語として通用することとなったのである。

出典:船田亨二『ローマ法入門』有斐閣。【】および、サブタイトルは解説者。


【考えてみよう】

 衰亡の教訓

 戦前の日本の「大東亜共栄圏」はなぜ破綻したのか。

 最近のアジアの「円通貨圏」は何をめざそうというのか。

 スーパー・エンパイア(超帝国)を目指そうというブッシュ大統領のアメリカは、現代の「ローマ帝国」の失敗版ではないのか。