ゲーム理論入門です。フォン・ノイマンとモルゲンシュテルンによって始まったこの理論も、最初 20 年ほどは今ほどの隆盛を極めるとは想像されず(名称もやや唐突)、どちらかといえば少数の学者の関心を引いていただけでした。ここ 10−20 年の進歩は著しいものがあり、昔のように「2 人ゼロ和ゲーム」「囚人のジレンマ」の知識だけでは不十分です。たとえば、今や経済学では必須の理論的武器となっています。最先端まで入れたわけではありませんが、それを理解するための基礎的結果のいくつかを解説しました。最近は、ゲーム理論の導入書、読みやすく解説された本、経済・経営への応用の基礎入門書が多く利用できるので、ゲーム理論は比較的基礎勉強しやすい理論となっています。ところで、ドレッシャーというゲーム理論家は「戦略のゲーム」Game of strategy ということばを用いています。ゲーム理論でいう「戦略」(ストラテジー)はそれ自体戦争の場面を意味せず(応用はもちろんある => ビスマルク海海戦、ブラッドレー vs. フォン・クルーゲ)、むしろ経済や経営におけるような「方策」の手順という方が意味としては合っています。そういう意味でなら、本章を「戦略的思考」のエッセンスの章という読み方をすることも有益でしょう。
☆ 「ゲーム論」という言葉もあるが、本書では体系性を重んじて、単なる「論」とか現象「面」ではないところの、理論としての「ゲーム理論」を扱う。
囚人のジレンマ(Prisoner's
Dilemma; PD)
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人非ゼロ和非協力ゲームの代表的な例。そのテーマは一言でいえば「協力すべきか裏切るべきかそれが問題だ」。従来より最もよく扱われ研究されてきたゲームで
「原産地」はスタンフォード大学。現在もゲーム理論の華で、これについて書かれた論文数は(想像だが)万のオーダーでゆうに
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桁にのぼる。問題なく、数学・社会科学における今世紀の大発明の一。 |
キューバ危機:1962.10.16-28 ソ連がキューバ革命後の同盟国キューバに中距離弾道ミサイル(IRBM)を持ち込んだことが米偵察機によって発見され、国際関係に極度の緊張が走る。1962(昭和
37)年 10 月 16-28
日は世界が文字通り「核戦争の淵」に立った十数日間であった。危機の中のホワイト・ハウス戦略会議。向こう側にケネディー大統領、マクナマラ国防長官が見える。ケネディー大統領はこの時米ソの正面衝突から「核戦争が実際に起きる確率は
1/3 から 1/2
と思った」、という有名な述懐が残されているが(ソレンセン)、背筋がゾッとする。ゲーム理論では、ソ連との「チキン・ゲーム」として分析される。
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出典:『昭和二万日の記録』 |
ポツダム会談の光景 終戦直前、日本の敗戦後の戦後処理の大筋を討議。ポツダムはベルリン郊外の地名。トルーマン、スターリン、チャーチルの姿が見える貴重な光景であるが、戦後日本の進路はこの会議でおおむね決まった。このような国際政治の重要事件はゲーム理論の重要な適用例を与える |
一昔前のゲーム理論は「セロ和ゲーム」からはじまって、そう大したとこまではいきませんでした。逆にいえば、もっとも最低限の知識ということです。食うか食われるか、私の得は君の損、私の損は君の得というとき(セロ和状況)何がおこりますか。意外にも、均衡が生まれるのです。これを「ナッシュ均衡」といいます。これ大切ですよ。しかもそのようにプレーするのが最適で、これをミニマックス戦略といいます。それとも大混乱が起こると思いましたか。そこが不思議です。そして、これがゲーム理論の本質なのです。
均衡解の生みの親J.ナッシュ 映画『ビューティフル・マインド』より |
ためしに表 2.9 (b) の「ビスマルク海戦(日本名「ダンビールの悲劇」)」で理解してみるとよいでしょう。日本軍は北側、アメリカ軍も北側の戦略から離れる動機がありません。おたがいがおたがいに対し、最適にプレーしているのです。つまり「均衡」が生じているのです。
それから、最近は「正規形」(これまでの行列タイプ)よりは、時間や過程を入れた「展開形」のゲーム(ツリー・タイプ)が主流です。情報を表現するのに便利だからです。展開型ゲームにしておくと、採用(選択)しない手を最末端から次々と除いて、自然に最適戦略が求められます。これを「後退帰納法」とか「逆向き推論」
(*) といいいますが、植木屋さんの「枝刈り」を思い出します。
これもシュタッケルベルグ均衡を題材として練習して下さい。
*) 英語ではBackward Induction
実際は敵・味方とスッパリできるものではなく、事態はゼロ和よりもっと多様です。アメリカ、ロシアでも、敵対しているように見えて共通利益がありますから。だからこそ取り引き、交渉、協力などが起こり、面白い。これが一般に非ゼロ和の場合です。
それでも、協力の要素がある場合とない場合がありますが、ない場合からやるのがふつうです。たとえば、企業の競争で、この分析の歴史は古いです。クールノーという人をおぼえて下さい。この辺はミクロ経済学の基礎です。
それから非ゼロ和ゲームにはいろいろと定番があります。「囚人のジレンマ」がそれで、これは大学生の常識です。「チキン・ゲーム」というのも次にあらわれます。これは暴走族なのですが、意外に重要な本質が含まれています。なお、応用については国際政治のゲームで感覚を養ってください。それから、「両性の闘い」というよく知られた親しみやすいゲームもあります。このゲームも単なる関心以上に深く分析されています。
最近の話題は、「どのようにして(非協力から)協力が生まれるか」
という「協力の可能性」(M.
テイラー)の理論的追求です。ことに有名なのはアクセルロッドの『協力の進化』
(Evolution of Cooperation)で、その内容であるコンピュータ・トーナメントはいまや常識となっているものです。たとえば、意志のない(?)バクテリアも協力するし、互いに憎しみ合った第一次大戦の独仏マジノ線を跨いでも「協力」の芽
がみられたというのです。これらの関心は、「進化経済学」として大きな分野になってきました。
チキン・ゲーム(Chicken game、臆病 [弱虫] ゲーム)
直線道路で車を対抗させて暴走させる勇気を試す若者
ゲーム。いろいろの場面へ応用されるが、もとは映画『理由なき反抗』から。主役はジェームス・ディーン(James
Dean)。無類の車好きで、皮肉にも、若くして死亡したのは本当の暴走によるも
のであった。共演は往時のエリザベス・テイラー。ただし写真はこの映画のものではない。 |
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両性の闘い(Battle of Sexes)
よく知られたゲーム。野球か映画か。関心・趣味が異なるが、どちらも行きたい所へ2人で行きたい。話し合いもすぐには意見が合わない。事態の落ち着き先は4通り中の2通り。ゲーム理論では「ナッシュ均衡点」といいます。さて・・・。 |
では皆さん、復習です。次ができますか?
・ ナッシュ均衡点はどこか?
・ パレート最適点はどこか?
・ 優越戦略はあるか?(略)
答え:OHP にて示す。 =>
授業板書
人間は協力する動物ですね。これはうるわしい倫理的動機もありますが、やはり協力の利益の動機があるからとも考えられます。
そう考えるのは淋しい感もありますが、人間の本質(ホモ・エコノミックス、つまり「経済的人間」)は知っておくのがよいと思います。またそれがゲーム理論のスタンスですし、予測力の基礎です。そこで、協力するけどいくらくれるか、という話になります。ぎりぎりではこういう思考になります。
シャプレー値とかコアというのは、この利害計算の世界の話ですが、セメント会社の合併問題のケースを扱って見ました。
「情報」の話はもともとフォン・ノイマンのゲーム理論の当初からありました。完全情報か否かということです。相手の手がわからないので自分がどういう状態に置かれているかわからない(「五里霧中」の情報集合)というものです。しかし最近の「情報」の問題は、もっと「わからなく」て、相手の計算つまり利得関数を知らない(不完備情報)ときとか、あるいは、相手は知っていることがらを自分は知らない(情報の非対称)とき、などです。後者の例は、契約者の健康状態を完全には知らないで保険契約を結ぶ保険会社などですが、いくつかのテキストがいろいろの興味深い応用のケースを扱っています。
ここでは、「レピュテーション」(信認、評判)ということばを学びましょう。