裁かれる侵略の15年戦争

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最終更新日 2006/11/27
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極東国際軍事裁判法廷(東京・市谷)

正面横一列は各国裁判官
右端被告人は開戦時の首相東條英機

史上最大、空前絶後の国際裁判が軍国日本の指導者の行動の全貌を明るみに出す

 「極東国際軍事裁判」は、わが国の対米・対英等の戦争(「太平洋戦争」)の敗戦後1946年5月3日より東京において開設された大規模な軍事裁判である。わが国はこの戦争を含めてそれ以前から、「一五年戦争」と呼ばれるアジアに対する侵略戦争を続けてきた。この裁判において、わが国の道を誤らせた指導者たちの行動や考え方が、それまで何も知らされずひたすら戦争に協力させられ多大な犠牲と労苦と損害を強いられてきた国民の前にはじめて明るみに出されたのである。

 今日、「勝者の裁判」としてこれを批判する考え方(「東京裁判史観」)もあるが、この裁判の歴史的意義は非常に大きい。60年を過ぎた今、半世紀以上前のわが国の軍国指導者の姿を見るにつけ、それ以後今日へ至るわが国の歩みがたとえ多くの改革・進歩があったにしても、経済成長に心を奪われ歴史から学ばず「のど元過ぎて熱さを忘れる」ことがなかったかどうか。今わが国の政治は戦争の反省の上に立たず、一部の国際時局に便乗する者が政治を握っている。彼らは歴史的事実を歪め、替わりに有効性の検証なき、戦略論ならざる「戦略論」を夜郎自大に作出しているが、これでは明日の日本は開かれない。新生日本の光明を見出す基とするために、本サイトを作成する。

 便乗者よ、あなたの青春は何だったのか、何を学び何を悟った青春だったのか。

(2006.11.9改変)

被告席に並んだ軍国指導者たち(極東国際軍事裁判開廷の1946年5月3日に)
写真:朝日新聞2006年4月30日朝刊掲載(転載許可申請中)

極東国際軍事裁判全公判概略目録

1. 極東国際軍事裁判所規定

2. 起訴状(冒頭陳述)概略

3. 全460回公判概略

- 各回公判      登載中
- 全公判(一括)   登載中
- 縦書き印刷用   登載中

4. 資料解題

<順次制作中>


フラナガン神父も傍聴etc.(法廷素描)

コンパクト年表

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