『昭和天皇独白録』
開戦の際東条内閣の決定を私が裁可したのは、立憲政治下における立憲君主としては己を得ざる所である。若し己が好む所は裁可し、好まざる所は裁可しないとすれば、之は専制君主と何ら異なる所はない。
終戦の際は、しかし乍ら、之と事情は異にし、廟議がまとまらず、鈴木総理が議論分裂のままその裁断を私に求めたのである。
そこで私は、国家、国民の為に私が是なりと信ずる所に依て、事を裁いたのである。
(寺崎英成 マリコ・テラサキ・ミラー共著『昭和天皇独白録』1995文芸春秋社)
ウェッブ裁判長(オーストラリア)の別個意見より
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戦争を行うには、天皇の許可が必要であった。もしかれが戦争を望まなかったならば、その許可を差し控えるべきであった。かれが暗殺されたかもしれないということは、問題の答えにはならない。この危険は、自己の義務を危険があっても遂行しなければならない統治者のすべてが冒しているのである。いかなる統治者でも、侵略戦争の開始という犯罪を犯しておいて、そうしなければ命が危うかったのであるからといって、それを犯したことについて、赦されるものと正当に主張することはできない。
天皇は進言に基づいて行動するほかはなかったということは証拠と矛盾している。かれが進言に基づいて行動したとしても、それはかれがそうすることを適当と認めたからである。それはかれの責任を制限するものではなかった。しかし、何れにしても、大臣の進言に従がって国際法上の犯罪を犯したことに対しては、立憲君主でも赦されるものではない。
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