松本清張『日本の黒い霧』と社会推理

我が国戦後の出発と上層部の巨悪
「大学教授にこの1篇でも書ければ」
「戦後の巨悪」ははたして虚像か
ブッシュのフセイン謀殺許可に思う


「黒い霧」とは、日米間の太平洋戦争の敗戦(1945)後、アメリカの占領下で起こった一連の国際的謀略、疑獄など怪事件の不可解さを、社会推理小説家の巨匠松本清張が形容したことばである。これによって松本清張は「社会推理小説」というジャンルを設定したのであるが、それから半世紀以上もたった 21 世紀の今、日米安保体制が継続するさなか、これら暗黒の事案の真相はいぜん明かされていない。

その一節を紹介すれば、政治の巨悪の恐ろしい一面を清張がどう伝えようとしたか理解できよう。戦後の労働運動と保守勢力の正面対決のはざまに出来した謀略の疑いの強い「下山事件」で、清張は次のように結んでいる。

下山事件の捜査はすでに事実上打ち切られたものであり、この謀略の実際の姿は、世界における日本の現在の位置が変更せぬ限り、永遠に発表されることはないであろう。(上巻「下山国鉄総裁謀殺論」)

これが清張のこの作品の基調テーマである。しからば、清張は学者や歴史家なのか。そうではあるまい。歴史家は「推理」とは異なる「科学的推論」を技とし、しかも科学的推論はふつうこれほどまでにリアルではない。しかし、ある法哲学の大学教授いわく「大学教授が清張の一篇でもいいから書けたら、尊敬されるだろう」。これは耳の奥に残る。松本清張の地を這いずり回るような、並外れた描写の力量はやはり他人には真似できないものである。

 各回の冒頭部分は次の通り

上巻:
  1) 下山国鉄総裁謀殺論
  2) 「もく星」号遭難事件
  3) 二大疑獄事件
  4 ) 白鳥事件
  5) ラストヴォロフ事件
  6) 革命を売る男・伊藤律

下巻:
  7) 征服者とダイヤモンド
  8) 帝銀事件
  9) 鹿地亘事件
  10) 推理・松川事件
  11) 追放とレッドパージ
  12) 謀略朝鮮戦争
  13) なぜ『日本の黒い霧』を書いたか

 清張の描写は膨大な資料と推理・論理によって緻密に組み立てられており、読者をして、まさにこれこそ真実ではないかと思わせる説得力がある。しかし、「推理」は真理なのか、いかに真相に近くとも「推理」の域を超えられないのだろうか。それは清張自身も認めているが、なお食い下がる批評もある。これまた緻密極まる『レイテ』戦記の作者大岡昇平の清張批判を紹介する。

 しかし私は松本清張や水上勉の社会的推理小説は、現代の政治悪を十分に描き出していない、彼等の描くものは一つの虚像であるという意見である。伊藤の論点に、大体において賛成しながら、この点は譲ることはできない。それを述べるのが「松本清張批判」と題した今回の目的である。

 しかし私は先々回に書いたように、松本の愛読者であり、旧安保時代の上層部に巣喰う悪党共を飽くことなく摘発した努力を高く買っている。一貫して叛骨とでもいうべきものに愛着を持っている。しかし政治の真実を描いたものとは、一度も考えたことはない。彼のベストセラーよりも、武田泰淳や野間宏の失敗作の方を買いたい気持ちがしている。それらの理由を松本の作品に即して、説明してみよう。

 私は松本清張を大体雑誌に掲載されるに連れて散漫に読んで来たのだが、こんど角川の昭和文学全集に、初期の作品から系統的にまとめられているので便利をした。推理小説は「点と線」だけで、「或る『小倉日記』伝」「菊枕」など、初期の短編小説から、最近の松川裁判に対する感想まで含んでいて、彼の活動を一望の下に収めることが出来る。初期のものははじめてだが、そこに作者の精神構造が端的に出ていて興味深かった。

 私はこの作者の性格と経歴に潜む或る不幸なものに同情を禁じ得なかったが、その現われ方において、これは甚だ危険な作家であるという印象を強めたのである。「小倉日記」「断碑」は、国文学や考古学の町の篤学者が、アカデミズムに反抗して倒れる物語である。「菊枕」はエキセントリックな女流歌人が、腐敗した歌壇で所を得ずに、死んでしまう話である。学問的追及を記述するという点で、推理小説の趣きであるが、推理がモチーフではない。と言って感傷的な悲憤慷慨小説でもないので、学界、アカデミズムというものの非情さと共に、それに反抗して倒れて行く主人公の偏執も、冷たく突放して描いてある。

 後日社会的推理小説家になってから書いた「小説帝銀事件」「日本の黒い霧」は、朝鮮戦争前夜の日本に頻発した謎の事件を、アメリカ謀略機関の陰謀として捉えたものであり、栄えるものに対する反抗という気分は、初期の作品から一貫している。
 しかし松本の小説では、反逆者は結局これらの組織悪に拳を振り上げるだけである。振り上げた拳は別にそれら組織の破壊に向うわけでもなければ、眼には眼の復讐を目論むわけでもない。せいぜい相手の顔に泥をなすりつけるというような自己満足に終るのを常とする。初期の「菊枕」「断碑」に現われた無力な憎悪は一貫しているのである。

 清張から大岡昇平への反論は、『日本の黒い霧』(下)の後の刊行のなかで「なぜ『日本の黒い霧』を書いたか」として行われている:

 『日本の黒い霧』をどういう意図で書いたか、という質問を、これまで私はたびたび人から受けた。

 これは、小説家の仕事として、ちょっと奇異な感じを読者に与えたのかもしれない。だれもが一様にいうのは、松本は反米的な意図でこれを書いたのではないか、との言葉である。これは、占領中の不思議な事件は、何もかもアメリカ占領軍の謀略であるという一律の構成で片づけているような印象を持たれているためらしい。

 そのほか、こういう書き方が「固有の意味での文学でもなければ単なる報告や評論でもない、何かその中間めいた"ヌエ的"なしろもの」と非難する人もあった。これも、私という人間が小説家であるということから疑問を持たれたのであろう。

 私はこのシリーズを書くのに、最初から反米的な意識で試みたのでは少しもない。また、当初から「占領軍の謀略」というコンパスを用いて、すべての事件を分割したのでもない。そういう印象になったのは、それぞれの事件を追及してみて、帰納的にそういう結果になったにすぎないのである。

 感想:ブッシュ大統領は公然と諜報機関の「フセイン謀殺」を許可する指令を
 出している。今にして当時を思えば「やはり」の感は禁じえない。 (2003.2.24)


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