武蔵 旧国名。現在の東京都・埼玉県の全域、および神奈川県の一部。初め東山道、771 年から東海道に所属。延喜式に大国、21 郡。国府は多麻郡(府中市)。平安末に武蔵七党などの武士団が発生、源頼朝の鎌倉幕府創業に参加、鎌倉時代には将軍、ついでは執権が支配、室町時代には関東管領(かんれい)の所管。のち北条氏が進出。1590年に徳川家康が江戸に入って、全国の政治的中心となり、江戸時代には幕府領・旗本領が交錯、北部には川越、忍(おし)、岩槻などの藩を置いた。
* 杉並区史を含む。
※ 2006.7.5 訂正(「北多摩郡砧村・千歳村を世田谷区に編入・・・」を昭和11年に)
武蔵国成立以前 | 知々夫、○邪志、胸刺の国造により分割支配。 |
継体朝 | 笠原使主と同族小杵の争い。使主勝ち武蔵国造となる。 |
(推古) 593年 | 聖徳太子、摂政。 |
大化元年(645) | 大化の改新。穂積昨ら 8 人、東国国司。 |
持統天皇4年(690) | 新羅人韓奈末許満ら 12 人を武蔵国へ移住さす。 |
大宝元年(701) | 大宝律令制定。武蔵国、東山道の一国に(国府=現府中市)。 |
大宝3年(703) | 引田祖父、武蔵野守に(初見)。 |
和銅元年(708) | 秩父郡より銅を献上、和銅と改元。武蔵国の庸、秩父郡の調、庸を免除。 |
和銅3年(710) | 平城京遷都。 |
霊亀2年(716) | 高麗郡を設置(続日本紀)。 |
天平宝字2年(758) | 新羅郡を設置(続日本紀)。 |
神護景雲2年(768) | 東山・東海道を承ける乗○、豊島両駅に馬十匹を常置。 |
宝亀2年(771) | 東山道から東海道へ所属替え。畿内からの距離短縮。 |
延暦13年(794) | 平安遷都。 |
天長6年(829) | 空閑地 290 町を西院勅旨田とす。 |
天長7年(830) | 220 町を正束 1 万束を以て開発、勅旨田とす。 |
承和元年(834) | 幡羅郡の荒地 123 町、冷泉院の勅旨田となる。 |
承和2年(835) | 国分寺七重塔焼失。前男衾郡大領壬生福正が私費で再建。 |
承和8年(841) | 田 123 町嵯峨院の勅旨田となる。皇室直轄領飛躍的増大。 |
貞観3年(861) | 群盗横行、検非違使各郡 1 人を配置(『三代実録』同年 11 月条)。 |
延喜19年(919) | 前権介源任、国府を襲う(『扶桑略記』同年 5 月 23 日条)。 |
『延喜式』(927) 『和名抄』(931-938) |
武蔵国
[写真出典は『国史大辞典』] 大宝令の等級 大国、遠国 郡数 21 郡 田数 35,574 町 正税・公○ 各 40 万束 本稲 1,013,750 束余 雑稲 313,750 束余 国府 多摩郡(府中市) |
天慶元年(938) | 武蔵権守興生王・介源経基、足立郡郡司判官代武蔵武芝と争う。 平将門、争いに介入。ついで下野・上野国衙を占領(天慶の乱)。 |
天慶3年(940) | 平将門、藤原秀郷・平貞盛により敗死。 |
[律令政治の矛盾大。武蔵国にも多くの荘園成立、大土地私有化顕著] |
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万寿5年(1028) | 平忠常の乱(〜1031)。武蔵国、疲弊。平氏、東国の地盤を失う。 |
天喜4年(1056)-康平7年(1064) | 前九年の役(源頼義・義家、奥州藤原氏内紛を鎮静化)。 |
応徳3年(1086)- 寛治3年(1088) | 後三年の役(源義家、奥州藤原氏内紛に介入)。 |
永久元年(1113) | 政府、常陸・相模・上野・下総・上総国司に対し、武蔵七党の横山党の追討令。 |
保元元年(1156) | 保元の乱。 |
平治元年(1159) | 平治の乱。 以後、平氏一門(知盛、知重、知度、知章)、武蔵守に補任。 |
治承4年(1180) | 治承・寿永の乱(源平の乱)。 源頼朝、伊豆に挙兵、石橋山に敗れ、海路安房国へ逃れる。同年、房総三カ国の兵を率いて隅田河畔に至る。江戸重長、武蔵国の大勢力秩父氏の総領畠山重忠の留守役として、頼朝武蔵入国を阻止。頼朝、重長を説得しようやくにして武蔵国へ入る。10 月、重忠・重長、長井渡しで頼朝の陣に参上。 |
文治5年(1185) | 平氏、壇ノ浦に滅亡。頼朝、守護・地頭の任命権獲得。 |
元久2年(1205) | 畠山重忠、讒言により自殺。 |
建保元年(1213) | 和田義盛誅伐。 |
承久3年(1221) | 承久の乱。武蔵武士の多く、幕府軍に属す。 |
仁治元年(1240) | 豊島時光の豊島荘犬食名没収。 |
文永11、弘安4年(1274, 1281) | 文永・弘安の役(元寇=元、北九州に襲来)。 御家人の没落、次第に社会・政治の混迷に。 |
弘安8年(1284) | 霜月騒動(執権貞時、有力御家人を討伐)。武蔵、上野の御家人多く討伐さる。 |
元享年間(1321〜24) | 豊島氏の領主的支配、豊島・足立・多摩・児玉・新座の各郡に及ぶ。 |
元弘3年(1333) | 新田義貞、鎌倉幕府打倒の挙兵。久米川の戦い、小手指原の戦い、分倍河原の戦い。武蔵国武士団(江戸、豊島、葛西)多く新田方に参加。 |
建武元年(1334) | 建武の新政。 |
建武2年(1335) | 中先代の乱。新政への不満から北条氏残党ら、信濃、武蔵国から鎌倉へ進撃。 |
建武3年(1336) | 足利尊氏、光明院を擁立(南北朝) |
貞和5年(1349) | 足利尊氏・基氏、南朝方を府中・小金井に破る(武蔵野合戦)。 |
観応元年(1350) | 観応の擾乱:足利尊氏、直義両党の抗争に、南北朝内乱の様相複雑化。 −武蔵武士の対応、両党に分かれる− |
延文3年(1358) | 足利方、南朝方新田義興を矢口渡に謀殺(関東の南朝勢力を平定)。 |
応永23年(1416) | 上杉弾秀の乱(関東管領上杉氏憲、鎌倉公方に反す)。 |
永享10年(1438) | 永享の乱(足利持氏、幕府に反す)。 |
享徳3年(1454) | 鎌倉公方足利成氏、関東管領山内上杉憲忠を謀殺(享徳の大乱:〜1482)。 |
康生元年(1455) | 足利成氏、幕府の追討により下総古河に入る(古河公方)。 |
長禄元年(1457) | 扇谷上杉氏家宰太田資長(道灌)、江戸城を築城。古河公方足利成氏の進出を阻止。 |
応仁元年−文明9年(1467-1477) | 応仁の乱。 |
文明9年(1477) | 太田道灌、石神井城など武蔵諸城を攻撃、豊島氏本流滅ぶ。 |
文明14年(1482) | 古河公方足利成氏、将軍足利義政と和睦(都鄙和睦)。 |
文明18年(1486) | 上杉定正、太田道灌を謀殺。 |
明応4年(1495) | 北条早雲小田原城を収め、関東制圧の拠点とす。後、嫡子氏綱、江戸城を入手。 |
大永4年(1524) | 江戸城、北条氏の手に。 |
天正元年(1573) | 信長、将軍義昭を追い、室町幕府滅ぶ。 |
天正10年(1582) | 本能寺の変。 |
天正18年(1590) | 豊臣秀吉小田原城を攻略、北条氏滅亡。徳川家康、関八州太守として江戸城入城。 |
天正18年−元和元年(1590-1615) | 家康の武蔵国検地(ほぼ連年)。 |
文禄3年(1594) | 豊臣秀吉、諸大名に命じ、全国に検地を実施。 |
慶長5年(1600) | 関ヶ原の戦い。 |
慶長8年(1603) | 家康、征夷大将軍に補任。江戸、天下の府に。 |
慶長10年(1605) | 『御前帳』 (*) 成立。 |
寛永年間(1624-1644) | 下総国から葛飾郡(現江戸川以西)を編入。 |
慶安2, 3年(1649,50) | 『武蔵田園簿』(正保田園簿 (*) )成立。 |
承応2年(1653) | 玉川上水の開削に着手。武蔵野開墾可能になり、江戸城の基盤確立へ。 |
明暦3年(1657) | 明暦の大火(主要市街地、江戸城天守焼失。江戸大改造)。 |
元禄15年(1702) | 『武蔵国郷帳』(元禄郷帳 (*) )成立。 |
享保元年(1716) | 徳川吉宗、将軍となる(享保の改革 - 45)。 |
享保17年(1732) | 西日本大凶作、江戸に影響。翌年打ち壊し。武蔵国農村部にも百姓一揆。 |
宝暦12年(1762) | 武蔵国田安領宝暦 12 年一揆。 |
天明7年(1788) | 松平定信、老中となる(寛政の改革 - 93)。 |
文政元年(1818) | 江戸内外を『御府内朱引図』で確定。 |
文政11年(1828) | 『新編武蔵(国)風土記稿』成立。 |
天保5年(1834) | 『武蔵国郷帳』(天保郷帳 (*) )成立。 |
天保7年(1836) | 『江戸名所図会』刊行。 |
天保12年(1841) | 水野忠邦、天保の改革を始める(- 43)。 |
嘉永6年(1853) | ペリー、江戸湾に入り、開港を求む。幕府、翌年の回答を約束。その間品川沖に台場を築造するうち、日米和親条約を締結。 |
慶應元年(1865) | 第二次長州征伐。 |
慶應2年(1866) | 江戸、大阪物資不足。打ち壊し全国に拡大、武州一揆も勃発し、全国各地に不穏な動き。長州征伐失敗。 |
慶應三年(1867) | 徳川慶喜、大政奉還。東征軍江戸を攻略。 |
明治元年(1868) | 江戸城開城。江戸を「東京」と改称。 |
明治4年(1871) | 廃藩置県。後変遷を経て、東京都・埼玉県に統合。一部は神奈川県となる。 |
明治11年(1878) | 東京府 15 区 6 郡成立(郡区市町村編成法) [後、5 郡]。 |
明治22年(1889) | 東京府 15 区を東京市とす(市制・町村制)。ただし、府知事が市長、庁舎、職員なし。 |
明治26年(1893) | 三多摩(北、南、西多摩)郡を神奈川県より移管。 |
明治31年(1898) | 特例廃止、一般の市制に。市長松田秀雄、市庁舎(現)丸の内3丁目。 |
昭和7年(1932) | 府下 5 郡(荏原、豊多摩、北豊島、南足立、南葛飾) 82 町村を編入、20 区新設(35 区)。 |
昭和11年(1936) | 北多摩郡砧村・千歳村を世田谷区に編入、今日の東京都特別区の範囲に。 |
昭和18年(1943) | 東京府、市を廃止、東京都設置。東京市各35区を市に準じる特別区とし直轄とす。 |
昭和20年(1945) | 太平洋戦争末期、連合軍(アメリカ軍)の東京大空襲。 |
昭和22年(1947) | 22 区に統合。同年、板橋区から練馬区を分離(23 区)。 |
国史大辞典「武蔵国」、東京都の地名、日本史辞典、日本史小年表、杉並区史その他
注: ○は難字、制作中。赤字は全国事項。
(*) 江戸幕府が国郡ごとに村名・村高を記した帳簿を一般に「郷帳」という。