Snyder, et al., Conflict among Nations による国際政治ゲームの利得表

 ゼロサムの場合のゲームの実際例 : ビスマルク海戦ほか


a) モロッコ危機(1911)(第2回モロッコ事件、アガディール事件)

モロッコの治安回復の目的でフランスが軍を派遣したところ、ドイツ軍艦がアガディールに入港。この示威行動により両国の緊張は高まった。イギリスがフランスよりの姿勢をとったため、ドイツがフランスからコンゴの一部を獲得することで妥協が成立。【囚人のジレンマ

b) ベルリン危機(1958‐62)(ベルリン再封鎖)

アメリカのドイツへの戦術核配備の動きに危機感を抱いたソ連は、ドイツとの平和協定で東西ドイツを承認することを提案。西側は交渉に応じ、東ドイツが東西ベルリン境界に壁を築くなか、ドイツを二国家に分割することが事実上認められた。【囚人のジレンマ】

c) チェコスロバキア(1938)(ミュンヘン会談)

ズデーテン地方のドイツ人保護を口実にチェコスロバキア侵攻をねらうドイツのヒトラーに、戦争を回避しようとするイギリスは融和政策で臨み、フランスもこれに従った。チェコスロバキアの国内は分裂しており、イギリス、フランスの譲歩により、ドイツのズデーテン取得が認められた。【チキン】

d) ベルリン封鎖(1948)

対ドイツ政策をめぐり賠償を要求するソ連は、産業復興を強調するアメリカと対立。経済復興のため、西ドイツを東側から分離して国家とする計画に、ソ連はベルリンの封鎖で抵抗。西側からの物資空輸に支えられた西ベルリンの抵抗の結果、封鎖は解除された。【チキン】

e) レバノン危機(1958)(レバノン出兵)

共産主義勢力がレバノンでの革命を扇動、支援したことから生じた危機で、ソ連はアメリカのシリア不干渉をアメリカはソ連のトルコ、レバノン不干渉を要求。革命阻止のため、アメリカはレバノンに出兵したが、結局撤退した。【チキン】

※ アメリカの主観ではブラフ・ゲーム、客観的にはチキンゲームであるため、省略。

f) モロッコ危機(1905-06)(第1回モロッコ問題、タンジール事件)

フランスのモロッコ保護国化に対し、ドイツは皇帝のタンジール訪問でこれを牽制。問題解決のため開催された会議において、イギリスをはじめ多数国がフランスの提案を支持。ドイツは屈服した。【ブラフ】

g) 金門島砲撃(1958)

台湾国民政府が、大陸沖の金門・馬租両島の武装を強化すると、金門島対岸の中国本土側でも武装が強化され、金門島と本土間で砲撃が行われた。台湾の後ろ盾であったアメリカは、中国共産党政府との協調姿勢を示し、共産党政府は砲撃を停止した。【ブラフ】

 

毛沢東(左)と蒋介石(右)

h) キューバ危機(1962)

ソ連がキューバに建設中のミサイル(IRBM, MRBM)基地を発見したアメリカは、撤去を要求してキューバの海上封鎖を行った。ソ連のフルシチョフは、アメリカがキューバに侵攻しないと確約する条件でミサイルの撤去を提案、アメリカ大統領ケネディはこれに応じ、ソ連がキューバからミサイルを撤去して危機は終了。【ブラフ】

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出典:『昭和二万日の記録』毎日新聞社