「ビスマルク海(海)戦」(ダンピールの悲劇)

ラエ輸送船団ビスマルク海に覆滅:1943.3.3
――2人ゼロ和ゲームの実際ケース――


太平洋戦争の中盤、ガダルカナル島撤収後の南東太平洋方面の劣勢挽回のため、陸軍は第五一師団輸送船団をニューギニア増援作戦としてニューブリテン島の航空基地ラバウルからニューギニアのラエへ向け送ったが、作戦は途次連合軍側の発見するところとなり、ダンピール海峡(ニューギニア島とニューブリテン島間の水道)付近において連合軍機群に捕捉され、その猛爆によって船団ほぼ全滅。3300人戦死。当初より、ニューブリテン島北側を航行するかそれとも南側か、天候条件、所要日数、連合軍の偵察作戦に対する予想(南側、北側)など諸戦略的要因が複雑にからみ、幕僚間で見通しや意見の対立があった。

T/U
(2, -2) (2, -2)
(1, -1) (3, -3)

T : ケネー将軍、U:今村将軍
単位: 可能爆撃日数(日)

曇り 晴れ
島の北側 島の南側

(天候条件)

この事件のゲーム論的分析は、最初
    Haywood, O.G.Jr.(1954) "Military Decision and Game Theory,"
     Journal of the Operations Research Society of America, 2, pp.365-385.
で、ヨーロッパ戦線のノルマンディー英米共同上陸作戦後の対独陸上作戦のケース分析とともに扱われ、これに有名なゲーム理論の定本
    Luce, D and Raiffa, H.(1957) Games and Decisions, Wiley.
が、2 人ゼロ和ゲームの数少ない実際ケースとして注目し、一般に知られるようになった。

日本語では、
    松原 望 『新版・意思決定の基礎』朝倉書店、第 3 章
の中に日本側からの視角を加え、地図をも用いたやや詳しい紹介がある。下記資料は外山による。

 

ゲーム理論をリアルに理解するには、軍事行動が分かりやすい。ほぼ完全に利害が対立している、互いにコミュニケーションがない、といったように条件がすっきりしているからである。このように、2 人のプレイヤー(ゲームへの参加者)の利害が正反対のゲームをゲーム理論では『2 人・ゼロ和ゲーム』と呼ぶ。

戦史研究に対する筆者の見解


ニューギニア方面の戦争の様子を知りたい人は:
    http://photobank.mainichi.co.jp
から、「検索」をクリックし、「キーワード」=ニューギニアとして下さい。少しは実感がわくでしょう。

「ビスマルク海戦」 The Battle of the Sea of Bismarck とはおもにアメリカ側の呼称で、日本側では「ダンピールの悲劇」という呼び方もあるようである。 戦史書ではとにかくも、一般にはあまり知られないが(山川出版社の「日本史小年表」には 記載がない)、それでも
    「昭和 2 万日の全記録(6)太平洋戦争」講談社
    「日録 20 世紀・1943年」朝日新聞社
はいずれも、1943.3.3 の項に「ダンピールの悲劇」としてこれを記載しており、後者は写真(毎日新聞社)をも添えている。とすると、これは「事件」「事故」という要素をも含むようである。実際ゲーム理論的には、この結果は予測可能で作戦自体中止すべきものであった。


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