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「戦略」(ストラテジー;strategy)は一般的には「可能な想定事態をあらかじめおりこんだ行動の長期計画ないしは指針」をいう。意思決定の科学(Decision Science)の分野で扱われるが、その方法論の上で格別の大きな問題や難点はない。
問題は、国家安全保障や軍事でのいわゆる「戦略」である。これはなかなか難しい分野である。それもあって、今日は、多くの論者や文筆家によりやさしく「戦略的に考える」ことが勧められ、マスコミや出版によって広く流布する時代である。しかし、実際には、不正確な知識が極めて断片的に得られる以外に、読者を益することほとんどないものも多い。それだけでなく、中には読者を思考のワナに陥れ、意思決定の科学からみても、「戦略的」どころか、ほんとうに「戦略的」ならむしろ避けるべきことがらを勧めるような矛盾した言説も少なからず見られる。
ここで、道徳哲学者エマヌエル・カントの有名な『永遠平和のために』の一節を紹介する。これはカントの中心的著作(いわゆる3批判)に入らない。カントが晩年めずらしく時代の国際関係の現実を意識しながら著した小作品であり、
「国家の対外紛争にかんしては、いかなる国債も発行されてはならない」(第4条項)
などは、その後200年余りの世界史をみればまさに教訓的である。ちなみに、昭和10年代の日中戦争期、日本の戦時国債の年次発行高は国家予算(一般会計)全体を越えていた。=> 資料
政治はそのものとしてはなるほどむずかしい技術であるが、しかし道徳と政治を一致させることは、なんら技術ではない。なぜなら、両者が矛盾しあうようになると、道徳は、政治が解くことのできない結び目を一刀両断にするからである。−−人間の法は、支配権にどれほど大きな犠牲を払わせるようにしても、神聖に保たれなければならない。これを折衷して、実用的で条件づけられた法という(正義と効用の間の)中間物を考え出したりしてはならない。政治はすべて、法の前にひざまずかなければならないが、徐々にではあるが、政治が輝き続けるようになる段階にまで到達することを期待できるのである。
=> 政治は本来道徳的である。道徳は政治に対して優位に立つべきである。 この関係に妥協は絶対ありえないし、対立を避ける技術もあるはずはない。ただし、2つを永遠に対立させるよりは、道徳には政治を理想に導くという責務が与えられていると考えたい。
以下は制作中でまとまっていないが、全体としては今日の折々の中で有益なメッセージを含んでいると思われるので、ひとまず掲載だけしておこう。
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意思決定の難しさ −キューバ・ミサイル危機−
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帝国属州の隅々までのびるローマの道路。 今でも残る堅固な造り。 |
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President George Bush of the United States of America
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--ブッシュ大統領に寄せる--
ブッシュ大統領の考え方の背景(制作中)
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